白マム印 日本のこと日本のもの

 
14
 
大久保利通の墓2014年06月13日_P6131499
                                       大久保利通の墓


明治の元勲、大久保利通のお墓は有名です。
何が有名かと申しますと「大きい」
ということです。
これを権威の象徴という人もいます。

この大久保公のお墓のどこに私が魅かれる
かというと
竿石(墓石)は5メートルもあり、
それを支えておいでなのが

贔屓さん。

贔屓贔屓の私ですから、
この贔屓みたさに青山霊園へ繰り出しました。

    いろんな方が「亀」と明記されている無念も
    晴らしたかったですしね。
    亀じゃないですよ。
    贔屓です!


贔屓 大久保利通の墓2014年06月13日_P6131488


5メートルの竿石は一体何トンくらいあるのやら。
贔屓さん、頑張ってます。



贔屓 大久保利通の墓2014年06月13日_P6131494



大久保利通の墓2014年06月13日_P6131485


碁石が↑わかりますか?
大久保公の趣味は碁です。
どなたかが供えられたのでしょう。



贔屓 大久保利通の墓2014年06月13日_P6131480


贔屓 大久保利通の墓2014年06月13日_P6131482



大久保利通の墓2014年06月13日_P6131483




大久保利通の人となりの評価は両極端です。
それは
同郷の幼馴染であり、明治維新を共に築いた
西郷ドンを死に追いつめたことに
起因します。

鹿児島の人は西郷ドンをこよなく愛し
大久保公には冷たい。
西郷ドンの敵あつかい。
けれど
このところは歴史の見直しやテレビドラマの
せいもあり鹿児島でも大久保公にあたたかい
目線を送るようになったようです。


大久保利通の墓2014年06月13日_P6131500


西郷隆盛 49歳にて没す
大久保利通 47歳にて没す

西郷隆盛の最後はウキペディアによると

   西郷は別府晋介を顧みて「晋どん、晋どん、もう、ここらでよか」と言い、
   将士が跪いて見守る中、襟を正し、跪座し遙かに東に向かって拝礼した。
   遙拝が終わり、別府は「ごめんなったもんし(御免なっ給もんし=お許しください)」
   と叫んで西郷の首を刎ねた(満49歳没)。


大久保利通の最後は

   介錯として首に突き刺された刀は地面にまで突き刺さっていた。
    『贈右大臣正二位大久保利通葬送略記・乾』によると
   大久保は全身に16箇所の傷を受けていた。そのうちの半数は頭部に集中していた。
   事件直後に駆けつけて遺体を見た前島密は、
    「肉飛び骨砕け、又頭蓋裂けて脳の猶微動するを見る」と表現している(満47歳没)。



栄華をほこった大久保利通の暗殺のされ方は
残虐です。
49歳と47歳。
死ぬには若すぎる2人ですが、
どちらが果たして幸せだったのやら。



大久保利通の墓2014年06月13日_P6131501




お涙ちょうだいでくくるわけではありませんが
お墓は、乃木希助の墓と比較すると雲泥の差。
とても広いものですが、現在は、ちょっと荒れた感じで
敷地が広いだけに寂しいものです。

夫人のお墓も向かい合わせにあります。


    *場所は、青山霊園 1種イ2号15~17の狭間です。


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04
 
2013年03月03日_DSC_0035


二月堂はお水とりの最中で
いつもと様子が違います。

行く先々で
「お水とりにおいでになったのですか」と
きかれます。


今回の私の私による使命は
「二月堂にて贔屓を探せ」。

なんとしても贔屓を見つけねばと
意気込んで二月堂へといそぎます。

手水舎では先の1月14日に探しだせなかった
彫師「相野徳兵衛直信」

銘をも見つけないといけません。

いけません・・・。
自分の出した指令にがんじがらめで
悲しいようなおかしいような気分ですが
好きなことですから気分は高揚しています。

朝早い二月堂は誰もおらず空気は冴え冴えとしています。


2013年03月03日_DSC_0053 2013年03月03日_DSC_0041
2013年03月03日_DSC_0037 2013年03月03日_DSC_0038


先ずは手水舎。
ぐるぐるまわって何度も見上げるのですが
今回も残念ながら手水舎に「相野徳兵衛直信」
の銘をみることはありませんでした。
消えた・・・のでしょうか。
   ご存知の方がおいででしたらお教えください。


2013年03月03日_DSC_0059

竹で囲われた石灯籠を見てまわります。
・・・ありません。
二月堂をぐるりとまわり
北の茶所の前も確認します。
が、
贔屓さんはどこにもおいでになりません。

そんなはずはないと
あきらめずに再度石段の石灯籠の根元(?)を
みます。

一段一段見ていきます。


おいでになりました。
やはり石灯籠を背負っておいででした。


贔屓2013年03月03日_DSC_0046


贔屓2013年03月03日_DSC_0048


贔屓2013年03月03日_DSC_0045


二月堂の石段をのぼりきったところに
おいででした。
この贔屓さんは「贔屓」というより
「亀」にちかいようですが、
重いものを背負っておいでなので
贔屓さんといってもよいと思います。

お小さいのに大きな灯籠で、
二月堂の贔屓さんは
ちょっと大変そうです。



en1参考en1

<贔屓>
中国の伝説によると、贔屓は龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子のひとつで、
その姿は亀に似ている。重きを負うことを好むといわれ、
そのため古来石柱や石碑の土台の装飾に用いられることが多かった。
日本の諺「贔屓の引き倒し」とは、
「ある者を贔屓しすぎると、かえってその者を不利にする、
その者のためにはならない」という意味の諺だが、その由来は、
柱の土台である贔屓を引っぱると柱が倒れるからに他ならない。
         *上記はウィキペディアより*

ご贔屓という言葉もこの贔屓からきています。
下積みの役者さんをファンが支えるということです。


贔屓 東長寺 2012年08月18日_DSC_0481
                                          福岡 東長寺



2013年01月13日_DSC_02201
                                             ↑竹生島
                                       許可を得たものです


贔屓 東寺大師堂2013年01月14日_DSC_0551
                          東寺大師堂



贔屓 2013年02月24日_DSC_0624
                                        東京国立博物館


<2013年3月3日見仏紀行>
東大寺中門→東大寺上院エリア→興福寺→薬師寺→唐招提寺→京都三条

(東大寺 中門の兜跋毘沙門天 二月堂の贔屓二月堂のもう一つの石段
手向山八幡宮の向かい鳩)→ (興福寺 石灯籠ご朱印帳門帳)→
(薬師寺 東西両塔初層特別公開小休止休ヶ岡八幡宮・孫太郎稲荷大明神)→
唐招提寺)→(京都三条・てっさい堂




 
24
 
ちょっと北風が強い日でしたが
青空の上野もうで日和でした。

東京国立博物館では
「書聖 王羲之」
「飛騨の円空」
が催されています。

今回は円空展へと東博に足を運んだのですが
その前に常設展をのぞきました。
13室金工部門に


期せずして贔屓さんがおいででした。


贔屓 2013年02月24日_DSC_0624
                          花瓶 江戸時代・18~19世紀


 
09
 
2013年01月14日_DSC_0584

東寺の西に位置するこの区域には、


2013年01月14日_DSC_0562 2013年01月14日_DSC_0566
2013年01月14日_DSC_0560 2013年01月14日_DSC_0572 2013年01月14日_DSC_0581 2013年01月14日_DSC_0518

御影堂      回向所
三面大黒天   大師堂
毘沙門堂     本坊

が、立ち並んでいます。
足早に見てまわり、
東寺をあとにして豊国神社に行き
唐門を眺めるつもりでいました。

ところが、
毘沙門堂の隣に、
あれは、
あれは、


贔屓さん。(注1)




贔屓 東寺大師堂2013年01月14日_DSC_0579


計画はここで完全に崩れ落ちました。


贔屓 東寺大師堂2013年01月14日_DSC_0552


可愛いですねえ。
走り寄り、体中を撫でまわす私です。


贔屓 東寺大師堂2013年01月14日_DSC_0553



贔屓 東寺大師堂2013年01月14日_DSC_0556



贔屓 東寺大師堂2013年01月14日_DSC_0558


いつもいつも重いものを支えてくれて
ありがとう。
いつまでも身体をさする私です。



贔屓 東寺大師堂2013年01月14日_DSC_0575
               尊勝陀羅尼の碑を支える贔屓


                            そして、その贔屓を支える小石さんたち、

               贔屓 東寺大師堂2013年01月14日_DSC_0578
                                            です。





時間は15時41分。
宝蔵の堀の前を通過して小1時間経っていました。


2013年01月14日_DSC_0593

サギが作りものではないことが判明。
妙に感動す。

                          *このサギさんの1時間前はコチラです




en1参考en1

<注1:贔屓>

中国の伝説によると、贔屓は龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子のひとつで、
その姿は亀に似ている。重きを負うことを好むといわれ、
そのため古来石柱や石碑の土台の装飾に用いられることが多かった。
日本の諺「贔屓の引き倒し」とは、
「ある者を贔屓しすぎると、かえってその者を不利にする、
その者のためにはならない」という意味の諺だが、その由来は、
柱の土台である贔屓を引っぱると柱が倒れるからに他ならない。
         *上記はウィキペディアより*

ご贔屓という言葉もこの贔屓からきています。
下積みの役者さんをファンが支えるということです。

<贔屓に関しての拙ブログ>
福岡 東長寺
滋賀 竹生島

<1月13日・14日の見仏の〆>
この見仏記の〆はコチラをご覧ください。

<2013年1月13日旅取り>
滋賀/三尾神社→三井寺→竹生島宝厳寺→京都/知恩院→八坂神社→奈良/興福寺
<1月14日旅取り>
奈良/東大寺→京都/東寺



en11月13日・14日見仏記en1

1 滋賀三尾神社 見返り兎
2 三井寺 左甚五郎の蛙股 龍
3 竹生島宝厳寺
4 竹生島宝厳寺 国宝唐門
5 竹生島神社(都久夫須麻神社)のご神紋
6 竹生島 贔屓
7 京都知恩院 三門楼上内部
8 京都名物
9 八坂神社を駆け抜ける
10奈良らしいもの
11東大寺 大仏様(だいぶつよう)の大仏殿
12東大寺 大仏殿のお仏像さまたち
13東大寺 上院へ行く前の箸休め
14東大寺 二月堂石階段 ますかけ のこと
15東大寺 二月堂手水舎の彫師相野徳兵衛
16東大寺 手向山八幡宮をさらり散策
17東大寺 ミュージアム
18京都東寺 小子房の美しい勅使門
19東寺 西院にて神獣 贔屓 にまみえる
20見仏紀行 〆 551を貪り食らふ


 
01
 
宇賀神をご存知ですか?

身体はとぐろを巻いた蛇。
頭は翁、
あるいは少数ですが女神です。

現世ご利益の神様といえばよいでしょうか。
商売繁盛の神様といえます。

本来は日本神話に登場する神。
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)といわれ
名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神です。
が、
調べていますと面白いことに
稲荷明神と同一のようです。
  ↑これに関してはもっとしらべないといけません
お稲荷さんも現世ご利益の神さんですから
確かにつながっていても不思議ではありませんね。

この宇賀神は弁財天(財宝神、豊穣神)と習合合体し
しばしば、弁財天の頭上に祀られ鳥居をいただく
かたちで姿をあらわされています。

弁財天も商売繁盛の神様、現世ご利益の神様。
民間信仰とは、
こういうものでしょう。

その典型的な例が琵琶湖の竹生島宝厳寺の弁財天です。


401px-Hogonji11s3200.jpg
竹生島宝厳寺の弁財天
(この画像はWikimwdia Comons/著者663highlandよりお借りしています)



さて、


私の散歩の場所のひとつである井の頭公園に
宇賀神さんがおいでなのです。
しかし
あまり知られてはいません。

井の頭弁財天の参道の階段の脇に宇賀神は
おいでです。




井の頭弁財天 宇賀神2013年01月01日_DSC_0615
井の頭弁財天 宇賀神



井の頭弁財天 宇賀神



宇賀神2013年01月01日_DSC_0665


参道である石段の下には井の頭公園口からはいった
たくさんの人々が弁天様に参拝されていましたが、
本来の弁天様の参道には誰もおらず、
当然
宇賀神に気がつく人もおらず
そのまわりは鎮まりかえっています。

井の頭公園に行かれたら
この宇賀神さんにお会いになられたらどうでしょうか。


井の頭弁財天参道2013年01月01日_DSC_0628



                               


en1参考en1


実は宇賀神を知ったのは
高野山霊宝館のウェブでした。
その宇賀神は
高野山の親王院蔵のものでした。

とぐろをまいた蛇の頭が翁というもので、
正直に言えば、その異形に驚きました。

早速、お会いしたいと思い
霊宝館に電話すると
現在、親王院に戻しているとの答え。
すぐに親王院に拝観の連絡をとると
親王院さんはご立腹でした。

それは、大切な宇賀神を霊宝館に寄託した
というのにウェブ載せたということです。

そのために異形が、キワモノ扱いされて
ネット上で一人歩きしてしまった。
ということです。

ゆえに、この宇賀神は門外不出の
秘仏としてどなたにも開帳ならずということ
でした。

とても残念です。

 
12
 
東大寺僧形八幡神坐像
東大寺僧形八幡神坐像 posted by (C)poco


御神像をご覧になったことはありますか?



大半の方が首を横に振られると思います。
そして仰る。

「神様は山や木に宿られて姿はないでしょ」と。

確かに、そうです。
が、
神仏習合により山や木や岩などにお宿りになっていた神は、
その時代の徳の高い人に降りられるようになりました。
それが高僧や天皇です。


私がはじめてご神像にお目もじしたのは
東大寺勧進所の一角、東大寺八幡殿でのことです。

トップの画像がそのご神像、
「僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)」で
いらっしゃいます。


この保存状態のよい、おきれいなお像は
快慶の作です。



次回は、わたくしがつい「お美しい」

口をもらしたご神像、

大分県奈多海岸、八幡奈多宮の應神天皇(八幡神)
のお像を
新幹線、在来線、バスを乗り継ぎたずねた様子を
あらわしながら紹介いたします。


1 ご神像をご存知ですか
2 よしっ 八幡奈多宮に行こう
3 八幡奈多宮 ご神像を訪ねて
4 神像の美



en1  en1

東大寺僧形八幡神坐像(秘仏)

東大寺の鎮守八幡宮(現、手向山八幡神社)の御神体でしたが、
明治の神仏分離・廃仏毀釈によって、東大寺に移されたものです。

    寺院に行かれてお気がつかれる方も多いと思いますが、
    古い御寺には鎮守のお社が祀られています。
    これは、本来、神の国であった日本に仏教が伝来し
    ひろまったためにおこる争いをさけるためにとられた
    共存共栄=神仏習合政策がもたらしたものです。
    ご神像は平安初期よりみられ、奈良薬師寺の鎮守さま、
    休ヶ岡八幡宮のご神体が有名です。


開扉日 毎年10月5日(9:00~16:00)
場所  東大寺勧進所八幡殿・入堂無料

*当日は勧進所阿弥陀堂の五刧思惟阿弥陀如来坐像
 開扉されます。

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Author:gurekomom
ひとりテクテク、本をポッケにいれてお仏像巡りをしている時が一番幸せです。

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