白マム印 日本のこと日本のもの

 
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養源院 白象杉戸絵 俵屋宗達 IMG_20160831_0014
                             養源院 白象杉戸絵 俵屋宗達


山号  南叡山
宗派  浄土真宗遣迎院派
創建年 文禄3年(1594年)
開基  茶々、成伯(開山)
本尊  阿弥陀如来

*俵屋宗達作襖絵と杉戸絵
*血天井
*名工左甚五郎の鴬張廊下

住所  京都市東山区三十三間堂廻り町656
電話  075-561-3887
交通  JR京都駅より市営バス206系統
      博物館三十三間堂前」下車
      蓮華王院(三十三間堂)の東向かい

養源院は三十三間堂東門の向かいに
あります。
「すぐそこ」と言ってよいでしょう。
とても静かな古刹です。

養源院 P8280610

養源院は、浅井長政の長女・茶々(淀殿)が、父の菩提を弔うために、
豊臣秀吉に願って創建した寺院です。
寺号の「養源院」は、長政の法名から付けられました。
寺院は落雷にて焼失しますが、2代将軍徳川秀忠の正室となった
茶々の妹、三女・お江(法名:崇源院)によって再興されました。
現在の本堂はお江によって再建されたものです。

「菊」は天皇家の紋で、お江と秀忠の子、和子が後水尾天皇の
もとに入内したことからつけられています。

お江によって再興された後、養源院は徳川家の菩提所となり、
2代将軍秀忠から14代将軍家茂までの位牌が安置されています。
お江と秀忠の位牌には、「菊」「葵」「桐」の3つの紋があります。
3つの紋を拝見できる寺院は養源院のみです。



養源院 P8280611P8280611






養源院 P8280613






養源院 P8280614
                                            弁財天






養源院 P8280616
                                            毘沙門堂




養源院 P8280615


上記の画像の右の石柱には「大聖歓喜天」と
刻まれています。
歓喜展が祀られているのでしょうか?
これに関しては未確認です。



養源院 P8280618



真っ直ぐ本堂に続く参道は
緑もみじが覆いかぶさるようで
しばし足をとめるほどの美しさです。

秋は息をとめる美しさでしょう。



養源院 P8280620


本堂にはいると
すぐに宗達の唐獅子杉戸絵が出迎えてくれます。




養源院 獅子杉戸絵 俵屋宗達
                                     宗達 唐獅子図






養源院 麒麟杉戸絵 俵屋宗達
                                    宗達 波と麒麟図






養源院 白象杉戸絵 俵屋宗達 IMG_20160831_0014
                                       宗達 白象図




一般公開されている俵屋宗達の杉戸絵はこの6枚ですが、
白象の杉戸絵の裏にも唐獅子の杉戸絵2枚が
たてつけられています。↓


P9011100.jpg
                                        宗達 唐獅子図

たまたまBSを観ていましたら、
養源院特集で、
この絵はその時の画像です。


宗達の絵は躍動感にあふれ
その意匠は大胆で斬新です。

とても江戸時代初期の作品とは
思えません。

私自身は白象が大好きです。
2015年の秋に開催された琳派展には
この白象図が出展されていなかったので
随分とがっかりしたものですが、

京博にから3分ほどの養源院には
常設されて公開されているわけですから
肩を落とすことはなかったわけです。




f0190950_1074927.jpg
                                     宗達 松図


養源院といえば廊下の天井が、
伏見城落城の際、自刃した武将たちの血のりのしみた廊下の
板を使ったため「血天井」として有名です。(注1)

お寺さんは、宗達の杉戸絵よりも血天井を「ウリ」にしておいで
のようで、説明もとても長い(長く感じた?)ものです。
文化財として確認がとれている宗達の絵のほうが
何倍も価値があるとおもうのですが・・・。

また
その廊下は左甚五郎作の鳴き廊下。
「鶯張りの廊下」といわれ
歩くたびにキュキュと音がします。

この養源院の隣は
法後白河上皇の院だった法住寺です。




京都 養源院 IMG_20160831_00071





en1参考en1

8月27日
石山寺 //京都武徳殿入江道場
8月28日
三十三間堂京博養源院→京都武徳殿入江道場→京都ロームシアター

<俵屋宗達の作品>

fig1_l_1.jpg fig1_r_1.jpg




fig8_1_20160210105409f55.jpg


<注1:血天井>
天井のシミが本当に「血」であるかは
確証がないようです。

<周辺情報>
三十三間堂
京都 三十三間堂 蓮華王院

京都国立博物館
平成知新館
京都国立博物館 琳派京を彩るPB010220

本館(旧館)
京都国立博物館PB010229

*現在の展示(2016年9月5日時点)丹後の仏教美術 9月11日迄


豊国神社
豊国神社2013年08月17日_DSC_0447


方広寺 大坂冬の陣のきっかけとなった釣鐘が現存
方広寺梵鐘2013年08月17日_DSC_0466


妙法院門跡 三十三間堂本坊
三十三間堂本坊妙法院 普賢菩薩 PB010159


新日枝神社(いまひえじんぐう)
新日吉神宮 PB010193


京都国立博物館エリアは京都駅から近い上に
上記の神社仏閣が隣接しています。

午前中は泉涌寺や東福寺、伏見稲荷を拝観し
午後はこの地区をまわるコースはいかがでしょうか。
どれも京都駅に近く東福寺エリアから京博は
タクシーで15分弱です。

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05
 
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                                              三十三間堂

< 蓮華王院 三十三間堂 >

宗派  天台宗
創建年 長寛2年(1165年)
開基  後白河上皇
本尊  千手菩薩
正式名称 蓮華王院本堂
国宝  本堂
拝観料 600円
本坊  妙法院門跡
*本来は後白河上皇の院としての法住寺殿内の一部(注1)
*平清盛の資財協力によって創建

住所  京都市東山区三十三間堂廻町
電話  075-561-0467
交通  JR京都駅より市営バス206系統
       博物館三十三間堂前下車すぐ
オフィシャルサイト



IMG_20160908_0001






2010年04月04日_DSC_13702010年04月04日蓮華王院三十三間堂
                                 三十三間堂 東面中央


三十三間堂を訪れたのは何回になるのか、
あまりによく拝観するのでわかりません。

京都駅に近い上に
京都国立博物館にも近いため
ちょくちょくという言葉があてはまるでしょう。

今回は友人が一度も訪れたことがないと
知り、大急ぎでお詣りしました。

なんだかいつも大急ぎです。



都 三十三間堂 蓮華王院
                                    三十三間堂 東面右手






三十三間堂 東面左手 P8280609
                     三十三間堂 東面左手


南北に120メートルもあるお堂には柱間が33あります。
三十三という数は観音菩薩様があまねく衆生を救うために
三十三化されるところからきています。



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              国宝 本尊千手観音像 湛慶作


3メートル以上おありの国宝木造千手観音坐像は
堂々としておいでで、
北側(入り口)より延々とつづく
観音像を抜けて中央にたどり着きお顔を
拝顔するとほっと安堵します。

ご本尊に左右500躯の千手観音が並ぶ様は
壮観壮麗であり神々しいとさえいえます。

深淵をのぞくような気持ちさえします。

1000躯の観音さまのうち
創建当初の平安期の像は124躯もあり
鎌倉期に復興されたお像の二百数十躯に作者銘があり、
湛慶をはじめ慶派、院派、円派など、
当時の主要な仏師たちが総出で造像にあたった
ことがわかります。

blog_import_4f4ee2aaeeeb2.jpg






blog_import_4f4ee2abb2412.jpg

1000体の観音立像の前には
風神雷神像をはじめ
二十八部衆がおいでです。


創建時は
極彩色に彩られていたそうです。

今様を好まれてお派手だったという
後白河上皇ならではのお堂でしょう。

DSC_2357
                                東面 中央広縁
この中央広縁の正面が
東大門になります。



三十三間堂 東大門 P8280598


西側にまわってみましょう。



2010年04月04日蓮華王院三十三間堂_DSC_1360
                             2010年4月撮影 三十三間堂西面

この西面は通し矢で有名ですが
私的には中村錦之助(萬屋)の
宮本武蔵が吉岡道場を相手に
果たし合いをした場所として頭に刻まれています。

題して「宮本武蔵 一乗寺の決斗 」です。





吉岡道場の嫡男の腕を叩き斬った武蔵に
次男坊伝七郎が果し合いを挑むのが、
この蓮華王院三十三間堂なんです。

この三十三間堂の裏手、西面廊下より飛び降り
中村錦之介武蔵は平幹次郎伝七郎をあっというまに
斬ってしまうんです。


    嫡子は深手、次男を殺され、吉岡道場一門勢揃いの
    「一条寺下り松の決斗」へとなっていくわけね。
    この決斗シーンはいいですよ~。
    田んぼの中を剣豪、錦之介武蔵が泥だらけに
    なって走り逃げながら刀をふりまわすの。
    カッコいいもヘチマもない。いい演出です。
    昭和39年東映映画 内田吐夢監督
    の宮本武蔵は豪華絢爛たる出演者です。
      武蔵 中村錦之介
      小次郎 高倉健
      伝七郎 平幹二郎
      お通 入江若葉


京都 三十三間堂 蓮華王院 手水






DSC_13622010年04月04日蓮華王院三十三間堂






蓮華王院 南門
                          最奥 南大門 右手 三十三間堂 


公道に南大門があるというのは
珍しいのではないでしょうか。
当然、生活道路として人や車が
行き交っています。

このあたり一帯は
後白河上皇の院であった法住寺の境内
ですから、この南大門は古来より
法住寺の大門でした。


外国の方には伏見稲荷が定番ですが
この三十三間堂も喜ばれるのではと思って
います。



IMG_20160908_00021





三十三間堂IMG_20160831_00072








en1参考en1

法住寺オフィシャルサイト

8月27日
石山寺 //京都武徳殿入江道場
8月28日
三十三間堂京博養源院→京都武徳殿入江道場→京都ロームシアター



<周辺情報>

養源院 俵屋宗達の杉戸絵や血天井で有名
養源院 白象杉戸絵 俵屋宗達 IMG_20160831_0014

京都国立博物館
平成知新館
京都国立博物館 琳派京を彩るPB010220

本館(旧館)
京都国立博物館PB010229

*現在の展示(2016年9月5日時点)丹後の仏教美術 9月11日迄

豊国神社
豊国神社2013年08月17日_DSC_0447

方広寺 大坂冬の陣のきっかけとなった釣鐘が現存
方広寺梵鐘2013年08月17日_DSC_0466

妙法院門跡 三十三間堂本坊
三十三間堂本坊妙法院 普賢菩薩 PB010159

新日枝神社(いまひえじんぐう)
新日吉神宮 PB010193


京都国立博物館エリアは京都駅から近い上に
上記の神社仏閣が隣接しています。

午前中は泉涌寺や東福寺、伏見稲荷を拝観し
午後はこの地区をまわるコースはいかがでしょうか。
どれも京都駅に近く東福寺エリアから京博は
タクシーで15分弱です。
 
08
 
前回 妙法院                                             次回 琳派展

新日吉神宮 PB010193


三十三間堂の本坊 妙法院をあとにして
京都国立博物館の琳派展へ。

待ち時間2時間!

では
閉館ぎりぎりに入ろうと
急きょ

新日吉神宮へ。

予備知識ゼロ。

シンヒヨシジングウ



思いきや、

イマヒエジングウ

と読む。


新日吉神宮 PB010192
                              新日吉神宮 随神門(随意神門)


京都女子大を
左に、緩やかな坂をのぼると朱色の随神門(随身門)が見えて
きます。

山門の脇に随神(身)がおられるので随神門といいます。


新日吉神宮の随身さん 随神さん 吽形 PB010195
                                 随神(随身)吽形 矢大臣



新日吉神宮 PB010194
                                随神(随身)吽阿形 左大臣
↑目の位置に網が被って写真としては失格ですね。
随神さんは、向かって右を「左大臣」というようです。
阿形吽形がおいでの場合もあるし、
お二方とも口を結んだお像も多く、
徹底していないような気がします。


新日吉神宮 PB010196



   新=いま。 「今」の意味
   日吉=ひえ。 「日枝」「日吉」「比叡」は同じ。

   平安末期。平氏・源氏・公家が争っていた時代。
   後白河天皇は天皇を退位なされ上皇になられました。
   この時代の実権は上皇が握っていました。

   後白河上皇は院の御所をお定めになられましたときに
   皇居の守護神として、比叡山の守護神/日吉社(現・日吉大社)
   を勧請なされ、京都・東山の麓に「新しい日吉神社」を創祀
   され ました。(1160年)
   創祀850年以上になりますが「新」が付いております。

                    オフィシャルサイトより

新日吉神宮 PB010197


この新日吉神宮は「御神猿」で有名と
のちほど知ったのですが
たしかに
本殿の左右に狛猿さんがおいででした

写真を撮るか迷ったあげく撮らずじまい。
後悔してもあとの祭りです。

では
なぜ撮らなかったかといいますと。

えらく気の毒にみえてしまって・・・・・・。
まるで檻に入れられたお猿さんのようでした。

防犯のためといえ
なんだか撮るのを躊躇ってしまった次第です。

この御神猿さんのお写真はコチラ
ご覧になれます。


新日吉神宮 PB010204


新日吉神宮 PB010201



本殿の虹梁には御神猿さんがおいででしたが
これは肉眼では見えない可能性ありです。
カメラのレンズを通してやっと
浮かび上がってきました。



PB010198


この新日吉神社には
近くに豊国神社があるにも関わらず
境内の端に
豊国神社が鎮座して
いました。

それほど疑問にも思わずお詣りだけしたのですが
これものちほど後悔。

こちらの豊国神社は
徳川家康によって破壊された
豊国大明神(豊国神社)の霊を
密かに祀っておられたということです。

この神社の当時の名前は

樹下社」(このもとのやしろ)。

秀吉の木下姓、
日吉丸という幼名を新日吉
にたくして祀ったといいます。

このような由来を知っていたならば
写真を撮っていたのですが・・・・・・。
無念


新日吉神宮 PB010200

                                              次回は琳派展

en1参考en1

新日吉神宮オフィシャルサイト

<近辺情報>

蓮華王院三十三間堂
京都 三十三間堂 蓮華王院


京都国立博物館
2014年05月04日_P5040907


新日吉神宮(いまひえじんぐう)
新日吉神宮 PB010193

豊国神社
豊国神社2013年08月17日_DSC_0447


方広寺
方広寺梵鐘2013年08月17日_DSC_0466


三十三間堂本坊 妙法院
三十三間堂本坊妙法院 普賢堂 PB010191




en1備忘録en1

2015年11月1日
東京→京都→東寺(五重塔、金堂、講堂小子房灌頂院)→
泉涌寺塔頭(即成院、悲田院、戒光寺)→
三十三間堂本坊妙法院→三十三間堂→京博(琳派展)→
奈良
11月2日
奈良→法隆寺(上御堂、金堂、講堂、五重塔、大宝蔵院)→
高野山→霊宝館
→大師協会→赤地蔵→金剛峯寺→光台院
11月3日
光台院→金剛峯寺→根本大塔→奥之院→遍照光院→東京

                                     赤字:特別拝観
                                     青字:要電話   



 
04
 
前回 戒光寺                                 次回 新日吉神宮

三十三間堂本坊妙法院 普賢菩薩 PB010159

号    南叡山 
宗派  天台宗
寺格  門跡寺院
創建年 平安時代初期
開基  最澄  
本尊  普賢菩薩

住所  京都市東山区東大路通り渋谷下ル妙法院前側町447
電話  075-561-0467
交通  京都市営バス「東山七条」バス停(急行100・202・206・207・208系統)下車  
ウィキペディア
三十三間堂オフィシャルサイト
*特別拝観時のみ一般公開

三十三間堂本坊妙法院 庫裏 PB010160
                                               庫裏


妙法院は三十三間堂の本坊であり
青蓮院、三千院とならび、天台三門跡と
称される名門寺院です(注1)。

2015年11月1日は特別公開にあたり
ご本尊の普賢菩薩が一般公開されました。


三十三間堂本坊妙法院 PB010162
                                    庫裏 国宝


庫裏(国宝)は1595年(文禄4)頃の建築で、
本瓦葺入母屋造。豊臣秀吉の造営で
先祖のための「千僧供養」を行う際の台所として
建てられたといわれるだけあり
威風堂々としています。

内部は
天井板を張らず、貫・梁などの構造材がそのまま見える
ますらおな造りとなっています。


三十三間堂本坊妙法院 PB010166

↑手前は玄関、奥に見えるのが庫裏です。




三十三間堂本坊妙法院 蟇股 PB0101851


↑正面玄関の破風の下は上品で
いかにも門跡寺院といえる姿です。



三十三間堂本坊妙法院 PB010181






三十三間堂本坊妙法院 PB010167
                                        唐門の装飾





三十三間堂本坊妙法院 PB010169


↑蛙股(蟇股)も大瓶束も質素で
却って斬新です。



三十三間堂本坊妙法院 PB010190 三十三間堂本坊妙法院 蟇股PB0101871

三十三間堂本坊妙法院 PB010189 三十三間堂本坊妙法院 PB010188





三十三間堂本坊妙法院 PB010171






三十三間堂本坊妙法院 PB010179





三十三間堂本坊妙法院 PB010178
                                              宸殿





三十三間堂本坊妙法院 普賢堂 PB010191
                        三十三間堂本坊 妙法院本堂・普賢堂





三十三間堂本坊妙法院 普賢菩薩 PB010155
                                藤原時代 普賢菩薩騎象像






P2032159.jpg


普賢菩薩さまを拝観することができたのですが、
お近くによることはかなわず、残念なことに
詳細をしることができませんでした。


境内には寒桜(というのでしょうか?)が
咲いていました。


三十三間堂本坊妙法院 PB010175


近世において妙法院は、三十三間堂はもとより、
方広寺、新日吉神宮(いまひえじんぐう)をも
管理下に置いていたこともある大寺院でした。


                                                  次回は新日吉神宮


en1参考en1

<注1:三十三間堂、青蓮院、三千院>

蓮華王院三十三間堂
2010年04月04日_DSC_13702010年04月04日蓮華王院三十三間堂



青蓮院
青蓮院 木はいいなあ



三千院
三千院 往生極楽院2012年11月25日_DSC_0034

拙ブログ
蓮華王院三十三間堂
青不動青蓮院
大原三千院

<近辺情報>
蓮華王院三十三間堂
京都 三十三間堂 蓮華王院

京都国立博物館
2014年05月04日_P5040907

*新日吉神宮(いまひえじんぐう)
京都 新日吉神宮いまひえじんぐうPB010193


豊国神社
豊国神社2013年08月17日_DSC_0447

方広寺
方広寺梵鐘2013年08月17日_DSC_0466


en1備忘録en1

2015年11月1日
東京→京都→東寺(五重塔、金堂、講堂小子房灌頂院)→
泉涌寺塔頭(即成院、悲田院、戒光寺)→
三十三間堂本坊妙法院→三十三間堂→京博(琳派展)→
奈良
11月2日
奈良→法隆寺(上御堂、金堂、講堂、五重塔、大宝蔵院)→
高野山→霊宝館
→大師協会→赤地蔵→金剛峯寺→光台院
11月3日
光台院→金剛峯寺→根本大塔→奥之院→遍照光院→東京

                                     赤字:特別拝観
                                     青字:要電話   




 
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2
                                       豊国神社 国宝唐門(2013年8月撮影)

< とよくにじんじゃ・ほうこくじんじゃ >

主祭神  豊臣秀吉公
創建   1599年(慶長4年)
      再建1880年(明治13年)
国宝   唐門


住所  京都市東山区大和大路正面茶屋町530
電話  075-561-3802
交通  市バス 博物館三十三間堂前下車 徒歩約5分


豊国神社豊国神社2013年08月17日_DSC_0415

  
未だに2014年5月の京都見仏を記載しているのですから
怠け者極まりのわたくしです。

  *    *    *

この豊国神社には太閤秀吉が祀られていますが、
徳川家康に寄って破壊されつくしました。
徳川幕府が終わりをつげると
明治国家は豊臣家を厚遇します。

「豊臣家は天皇家をないがしろにすることなく
幕府をもつくらなかった」ということです。

故に、明治政府は国家の印に菊と、豊臣家の家紋の「桐」を
登用しています。
五七の桐イコール豊臣が定着しているために
これを登用するのはビジュアル的にも葵(徳川)は
終わったということを強調する役目があります。

02saiyuki2_201501240839477e5.jpg


この豊国神社も明治政府の手によって再建されています。

京都 豊国神社2014年05月04日_P5040920
       左甚五郎作 鯉の滝登り(登竜門)


京都 豊国神社014年05月04日_P5040919
       左甚五郎作 鯉の滝登り(登竜門)



京都 豊国神社2014年05月04日_P5040915


一般拝観者が入られるのは
国宝の唐門までです。
半ばに見えるのは拝殿で
その向こう(最奥)が本殿です。

静謐な感じがして
私はこの空間が大好きです。


京都 豊国神社2014年05月04日_P5040921



京都 豊国神社2014年05月04日_P5040925



京都 豊国神社2014年05月04日_P5040912

                      *豊国神社の詳細は2013年見仏紀行をごらんください。




02saiyuki21_20150126175925b9b.jpg



en1参考en1

2013年 豊国神社の国宝唐門
2013年 方広寺の鐘

< 近辺情報 >
方広寺の石垣跡
京都 方広寺石垣跡 豊国神社・京都国立博物館2014年05月04日_P5040909
京都国立博物館正門脇から豊国神社迄のあいだには
豊臣秀吉が築かせた「京都大仏」といわれた方広寺の
石垣が続いています。
豊国神社と京博は、元々方広寺の一部でした。

2014年
5月4日 伏見稲荷大社千本釈迦堂法観寺(八坂の塔)庚申堂
       →京博豊国神社

 
29
 
2013年08月17日_DSC_0480


住所  京都府京都市東山区茶屋町527
交通  市バス京都駅前D1のりばから100号、
     D2のりばから206・208号系統にて
     博物館・三十三間堂前下車、徒歩すぐ
公式ウェブhttp://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html


2013真夏の見仏紀行は
京都博物館で上がりです。

本当は三十三間堂に拝観に行く予定でしたが
炎天の下、冷たいものが欲しくてたまらず、
よろよろよろよろよろぼうて
入場門より見える
博物館の喫茶室へ入り込んだ次第です。



2013年08月17日_DSC_0474


頼んだものは
クリーム白玉宇治金時!

貧乏旅行だというのに超豪華です。

クタクタで甘くて冷たい物を食べたかったノダ。

体中に氷が染みわたっていき
ゾンビのようによみがえります。

朝から35度の中
法界寺、醍醐寺、豊国神社、方広寺

動きまわった身!


京都国立博物館2013年08月17日_DSC_0476


ところが、
炎天に氷!!!

急にお腹が音楽を奏でだし
大変です。

初めての京都国立博物館は勝手がわからず
お手洗いが実は、東京国立博物館に慣れた
私には非常に不可思議な所にある。
  (常設館は工事中で私が入館したのは本館)

探しました。

なんていったらよいのか、
ドアはいかにも次の間も展示場ですよという
感じの木の厳かなドア。

ここって本当に「お手洗い?」と
悩みながらドアをあけます。

なんといっても
躊躇してる場合ではありません。

すると
ドアの向うは
プレハブのようなやす~いお手洗い。
暑いのなんのって、半端じゃありません。
日差しが燦々と差し込み
まるで仮設の飯場のような感じ。

これは先にも言ったように
東博に慣れ親しみすぎたんかもしれませんが
京博の重々しい建物にあまりに
不釣り合いなお手洗い。

とにかく暑い。

汗が湯けむりになるような
考える人状態で


2013年8月15日16日17日に及ぶ
見仏はおわるのでした。



京都国立博物館2013年08月17日_DSC_0478






京都国立博物館2013年08月17日_DSC_0482




en1参考en1

<近辺情報>
豊国神社
豊国神社2013年08月17日_DSC_0447
                                            国宝唐門


方広寺
方広寺梵鐘2013年08月17日_DSC_0469
                                大坂の役の発端となった梵鐘


三十三間堂
都 三十三間堂 蓮華王院

2010年04月04日蓮華王院三十三間堂_DSC_1360
                        お堂の内陣の柱33本、1000体の菩薩さま



en18月15日16日17日見仏足取りen1

8月15日
京都武徳殿にて合気道→南禅寺順正にて昼食南禅寺 1
南禅寺水路閣天授庵金地院東照宮金地院開山堂奈良東大寺
8月16日
木津川岩船寺→奈良忍辱山円成寺勧請縄円成寺運慶作大日如来坐像
8月17日
京都法界寺(日野薬師)醍醐寺三宝院醍醐寺五重塔
豊国神社方広寺京都博物館


 
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方広寺梵鐘2013年08月17日_DSC_0472
                                          方広寺梵鐘

方広寺の鐘ときいて
ピンとこられたかたは歴史に詳しい
方ですね。

ならば、
大坂冬の陣の発端といえば
だいたいの方がわかると思います。

そう、あの鐘です。

あの鐘は現存するのです。




方広寺梵鐘2013年08月17日_DSC_0469




< 方広寺 >

宗派  天台宗
創建年 1595年(文禄4年)
開基  豊臣秀吉、古渓宗陳(開山)
本尊  盧舎那仏 
別称  大仏殿

住所  京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2
電話  075-561-1720
交通  市バス 博物館三十三間堂前下車 徒歩約5分

*豊国神社に隣接



2013年08月17日_DSC_0471



方広寺は国宝唐門で有名な豊国神社
に隣接したとてもちいさなお寺さんです。
梵鐘以外特徴もなにもない。
だけれど
豊臣家が滅亡するまでは
京都国立博物館を含む敷地をもつ
広大な大寺院でした。

大仏殿は東大寺のそれよりも大きく
当然ながら安置された大仏は奈良の大仏さんより
4メートルも大きいものでした。

この大仏殿は秀吉の発願によって建立されたのですが
完成の翌年(1596年)、地震によって倒壊します。
2年後の1598年に秀吉は没し、そののち
この方広寺は
家康の進言により再建されます。

   これは豊臣家の経済を疲弊させるのがねらいだったと
   言われています。

家康はこの大仏殿の完成目前に
開眼供養と大仏殿上棟・供養の延期を命じ、


梵鐘の銘文に
「いちゃもん」をつけた・・・ことは有名です。

     「国家安康」「君臣豊楽」の句が徳川家康の家と康を分断し
     豊臣を君主とし、家康及び徳川家を冒瀆するものと看做され、
     大坂の役による豊臣家滅亡を招いたとされる(方広寺鐘銘事件)。
ウィキより

これより大坂冬の陣・夏の陣がおこり
豊臣家は滅びます。

この鐘銘事件は
南禅寺金地院の黒の宰相といわれ
家康の信任のあつかった崇伝が
画策したという俗説が伝えられて
います。

時代の流れを変えた梵鐘は
永い間野ざらしとなっていました。


2013年08月17日_DSC_0473


方広寺梵鐘2013年08月17日_DSC_0470




今も
「国家安康」
「君臣豊楽」
の文字が目視できる
時代の渦にまきこまれた梵鐘です。



方広寺梵鐘2013年08月17日_DSC_0466




en18月15日16日17日見仏足取りen1

8月15日
京都武徳殿にて合気道→南禅寺順正にて昼食南禅寺 1
南禅寺水路閣天授庵金地院東照宮金地院開山堂奈良東大寺
8月16日
木津川岩船寺→奈良忍辱山円成寺勧請縄円成寺運慶作大日如来坐像
8月17日
京都法界寺(日野薬師)醍醐寺三宝院醍醐寺五重塔
豊国神社方広寺京都博物館



 
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                                               国宝唐門


西本願寺の唐門、大徳寺の唐門
そして、この豊国神社の唐門を
京都国宝三唐門といいます。


< とよくにじんじゃ・ほうこくじんじゃ >

主祭神  豊臣秀吉公
創建   1599年(慶長4年)
      再建1880年(明治13年)
国宝   唐門


住所  京都市東山区大和大路正面茶屋町530
電話  075-561-3802
交通  市バス 博物館三十三間堂前下車 徒歩約5分



豊国神社2013年08月17日_DSC_0414



三十三間堂前、
京都国立博物館に隣接したところに
豊臣秀吉公をを祀った神社があります。

三十三間堂と京博という人気スポットに
ありながら、参拝客はまばらです。



豊国神社豊国神社2013年08月17日_DSC_0415




豊国神社2013年08月17日_DSC_0417


せっかく近くまで来て
こちらに足を伸ばさないのは
もったいないことです。

といっても
かく言う私も、豊国さんが
こんな近くにあるとは知らず、
いずれと後回しにしていたのです。

この豊国さんの唐門は見事です。



豊国神社2013年08月17日_DSC_0444
                          千成瓢箪の絵馬が左右を飾り風が吹くと
                          カラカラと音をたてます


この唐門は言い伝えによりますと、
秀吉の最後の居城となった伏見城の
門だったといわれています。

豊臣秀吉は没後
豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)の神号
を天皇より与えられて
この豊国神社にまつられました。
そしてこの門は伏見城より移築されます。

が、

豊臣家滅亡後、家康の命を受け神社や廟は
破壊されます。

唐門は、南禅寺金地院に移築されます。

時代を経て
1868年(明治元年)、明治天皇が大阪に行幸したとき、
秀吉を、天下を統一しながら幕府は作らなかった尊皇の
功臣であるとして、豊国神社の再興を布告した。
(ウィキより)

この布告のため、門は南禅寺金地院より
豊国神社に移築されます。


この唐門は数奇な運命をたどってこの地に
落ちついたといっていいでしょう。

二条城→豊国神社→金地院→豊国神社


豊国神社2013年08月17日_DSC_0420





2013年08月17日_DSC_0434



威風堂々たる唐門の代表格。
立派な門ですが、
意匠の細かくすぐれていること。



豊国神社2013年08月17日_DSC_0432





豊国神社2013年08月17日_DSC_0431





豊国神社2013年08月17日_DSC_0426

↑左甚五郎作といわれています。
濃いの滝登り。
すなわち登竜門です。



豊国神社2013年08月17日_DSC_0435





豊国神社2013年08月17日_DSC_0451





豊国神社2013年08月17日_DSC_0439


門の左右には秀吉の印の千成瓢箪をかたどった
絵馬がかけられており、風がふくたびに
カラカラと音をたてます。

参拝はこの門までです。

奥に拝殿、本殿が見えます。



豊国神社2013年08月17日_DSC_0438



清々しい、清冽さえ感じる
シンプルな境内・建物です。



2013年09月24日_DSC_0691
                                       bs5 京都2000年の旅より



もっともっと有名になってしかるべき
京都の神社です。



豊国神社2013年08月17日_DSC_0462



この神社の隣が方広寺。

豊臣家滅亡のきっかけを作った
「国家安泰」の銘のはいった梵鐘が
ある方広寺です。


このエリアは歴史的に非常に密度の濃い
地域です。



                               次回は番外編:珍しい大覚寺の唐門画像
                                          TV画像です

en1参考en1

西本願寺唐門
西本願寺唐門

<近辺情報>
三十三間堂
2010年04月04日蓮華王院三十三間堂_DSC_1360

京都国立博物館
方広寺

en18月15日16日17日見仏足取りen1

8月15日
京都武徳殿にて合気道→南禅寺順正にて昼食南禅寺 1
南禅寺水路閣天授庵金地院東照宮金地院開山堂奈良東大寺
8月16日
木津川岩船寺→奈良忍辱山円成寺勧請縄円成寺運慶作大日如来坐像
8月17日
京都法界寺(日野薬師)醍醐寺三宝院醍醐寺五重塔
豊国神社方広寺京都博物館


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