白マム印 日本のこと日本のもの

 
25
 
はじめて教わった折り紙ってなんだろ?



考えてみました。





それは、
新聞紙で折る



兜。


のような気がします。




兜
兜 posted by (C)poco



この季節

新聞紙で兜を折って
頭にかぶり
走りまわったものです。

手には新聞紙を筒状に丸めた刀。



男の子も女の子も嬉しそうに跳ねまわって
いました。


                                            端午の節句 1
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19
 
<八幡奈多宮 宝物殿>

八幡奈多宮


住所  大分県杵築市奈多229
電話  0978-63-8088
交通  JR日豊本線杵築駅下車、
     杵築バスターミナル行き乗車(10分)
     杵築バスターミナル下車、
     乗り換え
     国東行き(10分)奈多八幡宮 下車、
               徒歩3分。


御祭神 応神天皇、神功皇后、比売大神
創建  天平元年(729)宇佐公基にて創立

* 宇佐神宮の摂社
* 大分の戦国大名、大友宗麟の正室「奈多夫人」は
  奈多宮の大宮司の娘
* ご神像拝観は電話確認すること
* お手洗いなし
* 公式ホームページなし
* ご神像拝観には要、玉串料

奈多八幡 バス停より徒歩5分2011年05月03日_DSC_0446
posted by (C)poco


神様がおられるのは奥の建物、宝物殿です。


ここにおわす神様は、元をただせば宇佐神宮の御神体です。

なぜ、由緒はあるけれど小さなお宮に
ご神像が安置されているかといいますと、

いにしえより、宇佐神宮、奈多宮においての最大の神事は
「行幸会」(=御幸会)です。
簡単にいえば、ご祭神の新旧入れかえです。


2011年05月03日_DSC_0540八幡奈多宮の元宮である市杵島
posted by (C)poco


六年毎に新しい御神像が奉造されると、
旧御神像は比売大神(=市杵姫)を
元宮とする奈多宮に納める習わしだったといいます。
そしてそれらの神さまは沖の、市杵島から竜宮城に
おかえりになるように流したといわれています。

この奈多宮に現存するご神像は、なんらかの事情で
海に流されなかった方々といえます。


若い宮司さんが宝物殿に案内してくださいます。

宝物殿のまわりには注連縄によって結界が
はられています。

宮司さんが、ひょいっと注連縄をたくしあげられて
重い扉を開けられました。
その所作の簡単さに呆気にとられるも、体中の毛穴が
ひらくのがわかりました。
それでも遅れまじと一礼をして入っていきます。

入ると、左方に若宮がならんでおいでで


2011年05月03日_DSC_0474





それだけでも息がつまりそうなのに、
宮司さんが前方の門帳を一気にお開けになると
そこには、

宇佐神宮のご神体であった三神がおわしました。


神像 八幡奈多宮



右より僧形八幡神坐像(應神天皇)

女神坐像(比売大神像=市杵姫)

女神坐像(神功皇后像)

です。

2011年05月03日_DSC_0477


僧形八幡神(應神天皇)のお姿は神々のなかでも
お美しいものです。

気高く強いものを感じさせるお像は
50センチほどの体高です。


神像 八幡奈多宮



お仏像の特徴である大きなお耳に、
首には三道といわれるふくよかさをあらわす筋。

これは、徳の高さや、この世のものとは違う印です。
このように神の姿にも仏像のお印と同じものを
しるすということは
ここにも神仏習合があらわれています。
このお顔に白毫(びゃくごう)があれば
お仏像と見まがえます。


造像年代は11世紀。


神像 八幡奈多宮




どのおかたも榧を使った一木造りの内刳りなし。
丁寧に無駄なく彫られた様はいかに
大切な方を形づくっているかという
彫師の気持が伝わってきます。


神像 八幡奈多宮



↑若宮のなかでもこちらの若比売(わかひめ)
は清清く控えめな美しさが心をとらえました。↓

2011年05月03日_DSC_0459



2011年05月03日_DSC_0455



2011年05月03日_DSC_0456



2011年05月03日_DSC_0457



神像 八幡奈多宮
小若宮





この写真撮影はもちろん許可を得てのことですが、
シャッターを切りながらも撮ってよい
のだろうかと逡巡しつづけました。

ピントがぼやけているのは、
フラッシュをたくことに躊躇があったためです。

ことほどさように、わたくしには神聖な空間
でした。




神々に囲まれいっときの間、時間がとまってしまいました。


もし、宮司さんが後ろにおいででなかったら
もっとこの場にいたでしょう。



八幡奈多宮



2時間ほど経ち冷たい小雨がふりだしました。
海上の市杵島(いちきじま)の鳥居がかすんでいます。


八幡奈多宮




踵をかえして再度神様にお会いしたい
気持をおさえて、バス停に向かいました。


                                                 完

1 ご神像をご存知ですか
2 よしっ 八幡奈多宮に行こう
3 八幡奈多宮 ご神像を訪ねて
4 神像の美



en1 en1

<奈多海岸公園> 八幡奈多宮隣接

2011年05月03日_DSC_0513
陶器で出来た狛犬posted by (C)poco

2011年05月03日_DSC_0514
posted by (C)poco


2011年05月03日_DSC_0503八幡奈多宮の手水
岩をくりぬいた手水鉢posted by (C)poco


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<参考文献>

八幡奈多宮 ご神像   芸術新潮―創刊555号記念大特集:日本の神々
神像の美―すがたなきものの、かたち(別冊太陽)  芸術新潮―創刊555号記念大特集:日本の神々

*神像の美 は クリックしていただけば、アマゾンへ入り購入可能です。
 日本の神々は残念ながら絶版となり入手困難な貴重本です。
*内容的には「神像の美」のほうが良いと思います・・・。

<お目もじを終えての雑感>

博物館でご神像やお仏像を拝観するのは得てして味気ないものですし、
邪道のような気持もままあります。
しかし、奈多宮ご神像のように素晴らしご神体が、人里離れた海辺に
収蔵されていることに、多大なる危惧を覚えます。

また、親切にしていただいた宮司さんに申し訳ないのですが、
神社のかた自身が、このご神像のありがたさをとくとわかっておいででは
ないような気がするのです。これは地方にありがちなことなのですが・・・。

せめて、お社に常時人がおいでのような体制を整えていただきたいと
切に思ってしまいました。


<八幡神について>

宇佐神宮が八幡神宮の総本社(本家)ということはあまり知られていません。
京都の石清水八幡宮や鎌倉の鶴岡八幡宮の方が、全国区的存在です。

元々「八幡神」は地方(大分宇佐)の神様でした。
八幡神には不確かな由来が数々あります。

・八幡のハチはハタ、
 つまり秦氏(渡来)の神様だったよう。
・欽明天皇の時代(539年 - 571年)に宇佐の山に降りてこられた。

など。

この降りてこられた時の天皇が欽明天皇で、その御子がのちの應神天皇
のために、八幡神はすなわち應神天皇ということになります。

720年に
隼人(鹿児島)の乱がおきると、朝廷はこれを鎮圧しようとして宇佐八幡に神託を
仰ぐと、八幡神は、「我(われ)征(ゆ)きて降(くだ)し伏(おろ)すべし」と自ら征討
に赴きました。

740年代より
東大寺にかかわり八幡宮を勧請する(僧形八幡神坐像がある由縁)。

769年に
この地方の神様を一躍しらしめる事件がおきます。
「宇佐八幡宮神託事件」です。
女帝であった孝謙天皇に僧侶である弓削道鏡がとりいり、天皇に即位しようと
したために、それを阻止すべく宇佐八幡のご神託
「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ」を得てことなきをえました。

これにより宇佐八幡は天皇家とのつながりがいっそう堅固なものとなります。

781年
朝廷は宇佐八幡に鎮護国家・仏教守護の神として八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)
の神号を贈ります。

時代がくだり八幡神は武士の神「八幡大菩薩」としても広がっていきます。
源氏は八幡神を氏神とし、日本中に勧請します。
鎌倉幕府をひらくと、鶴ヶ岡八幡を勧請するにいたります。


八幡大菩薩の神号は太平洋戦争末期の日本軍の基地には
「南無八幡大菩薩」の大幟が掲げられ、航空機搭乗員(特に特攻隊員)
の信仰を集めことは、ご存知の方もおおいのではと思います。


*八幡総本宮宇佐神宮公式ホームページ

 
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<八幡奈多宮 ハチマンナダグウ>


2011年05月03日_DSC_0522八幡奈多宮拝殿
2011年05月03日八幡奈多宮拝殿 posted by (C)poco


住所  大分県杵築市奈多229
電話  0978-63-8088
交通  JR日豊本線杵築駅下車、
     杵築バスターミナル行き乗車(10分)
     杵築バスターミナル下車、
     乗り換え
     国東行き(10分)奈多八幡宮 下車、
               徒歩3分。


御祭神 応神天皇、神功皇后、比売大神
創建  天平元年(729)宇佐公基にて創立

* 宇佐神宮の摂社
* 大分の戦国大名、大友宗麟の正室「奈多夫人」は
  奈多宮の大宮司の娘
* ご神像拝観は電話確認すること
* お手洗いなし
* 公式ホームページなし

2011年05月03日_DSC_0422
2011年05月03日 posted by (C)poco




2011年05月03日_DSC_0417
posted by (C)poco


二の鳥居をくぐり振り向くと、
奈多海岸がすぐそこに見えます。

海からの風と塩の香りが心地好いこのお社は
729年に創建されています。

八幡宮の本家である大分宇佐八幡宮の摂社
です。分家というか、子供というか・・・。

そのように理解してくださればと思います。


2011年05月03日_DSC_0540八幡奈多宮の元宮である市杵島
八幡奈多宮の元宮である市杵島 posted by (C)poco


沖合約300mには朱色の鳥居をいただく奈多八幡宮の
元宮、市杵島(いちきじま)がのぞめます。

この島に市杵姫が舞い降りられた、あるいは流れつかれた
といわれています。

夏は海水浴客でにぎわうこの地ですが
奈多宮の存在はあまり知られておらず
本来は「ナダ」というのですが、「ナタ」
という呼び名のほうが広まっているようです。


2011年05月03日_DSC_0425
posted by (C)poco

石灯籠を支える狛犬。


2011年05月03日_DSC_0543
posted by (C)poco



2011年05月03日_DSC_0432
posted by (C)poco

毬に乗る狛犬。




2011年05月03日_DSC_0433
posted by (C)poco



2011年05月03日_DSC_0437
手水舎 posted by (C)poco



2011年05月03日_DSC_0552
posted by (C)poco 330年前に建てられた楼門



2011年05月03日_DSC_0445
posted by (C)poco 拝殿


参拝の御作法は宇佐八幡神宮と同様の
二礼四柏手一拝です。

4回手をうちます。


2011年05月03日_DSC_0551
posted by (C)poco


2011年05月03日_DSC_0448
posted by (C)poco ご神木 クスノキ


このクスノキにはフクロウが宿っています。
夜のしじまに波の音とフクロウの鳴き声。
そして神々のお声。

聞いてみたいような、畏れ多いような・・・。


2011年05月03日_DSC_05251
posted by (C)poco


2011年05月03日_DSC_0531
posted by (C)poco 本殿


境内には末社や蜜柑の神様が祀られています。


2011年05月03日_DSC_0500
posted by (C)poco 末社


2011年05月03日_DSC_0481
posted by (C)poco


みかんの神様のお像、田道間守公です。杵築市はみかん
の産地だそうです。背中には蜜柑を背負っておいでです。


境内をひとり歩きまわっている間に連休中というのに
お会いしたのは3人。
もちろんご神像のことはご存知ないらしく
境内の写真を撮られると立ち去られます。


2011年05月03日_DSC_0494
posted by (C)poco


拝殿の屋根には菊のご紋がいっぱいです。
御祭神(ご神像)である八幡大神さまは
応神天皇のご神霊です。


さて、御祭神がでてきたところで、
ご神像にお目もじいたしましょう。
                                                   つづく


1 ご神像をご存知ですか
2 よしっ 八幡奈多宮に行こう
3 八幡奈多宮 ご神像を訪ねて
4 神像の美
 

en1  en1

*摂社と末社
 こんにちでは、厳然とした区分はないようですが、古くは、「摂社」は大きな神社の御祭神と
 関係のある神様やその土地の地主神などをお祭りした神社とされており、
 それに当てはまらないものが「末社」とされていました。摂社のほうが位が上位とされていました。

 文中では、奈多宮は宇佐神宮と関係が深いために摂社という言葉を使用しました。
 境内にある小さなお社は摂社の境内にあるということで末社という言葉を使用しました。 

*蜜柑の神様
 田道間守公は新羅から蜜柑の苗を持ち帰ったといわれています。
 橘(タチバナ)の語源は、田道が持ち帰った田道の花→橘の花 。

*この神社拝観は2011年5月に訪れたものです。

宇佐神宮公式ホームページ
 
13
 
はじまりはこの本でした↓。

八幡奈多宮 ご神像
posted by (C)poco
神像の美―すがたなきものの、かたち。 (別冊太陽)


この表紙の美しい神の像にお会いしたい。

そう思うといつもの癖で
矢も盾もたまらず
やみくもに
猪突猛進。

太陽に掲載されたお宮さんの住所に
手紙、電話、ファクスとあらゆる手段をとり
ご神像へのお目もじをお願いします。

が、
返事はなし。

出発の日が刻々と近づいても返答はなし。
とにかく行ってみよう。
出たとこ勝負!
と、
腹をくくった出発前夜。
八幡奈多宮(はちまんなだぐう)のお宮守さんから
拝観許可の電話がありました。


東京からはるかかなたの大分県杵築市奈多。

東京ー(飛行機)→福岡ー(地下鉄)→博多ー(新幹線)
→北九州ー(日豊線)→杵築ー(バス)→奈多

それはもう「遠くへ行きたい」の歌詞そのもの。
と、いいましても愛する人と巡り会いたいのでは
なくて、ご神像にお会いしたい・・・のです。

霧雨のふる中、寒くて淋しく心細い旅でした。


杵築駅に降り立ちバスを乗り継ぎ、
国東半島行きのバスに乗り込むも
乗客は私ひとり。
海岸線を10分ほど走り、「奈多八幡」停留所。


大分 八幡奈多宮


誰もいません。
これは帰りのバスに乗り遅れたら大変なことになると、
バスの時刻表を頭に刻みます。

大分 八幡奈多宮
鳥居よりバス停方向を見る


ただ、
地方のバスのいい加減さを嫌と言うほど知っている
私は、不安いっぱいでした。



大分 八幡奈多宮


人っ子ひとりいない砂地の参道を3分ほど歩くと
海岸にでました。



大分 八幡奈多宮



                                                   つづく


1 ご神像をご存知ですか
2 八幡奈多宮 へ行こう
3 八幡奈多宮 ご神像を訪ねて
4 神像の美


en1   en1


八幡奈多宮   住所 大分県杵築市奈多229
          電話 0978-63-8088

大分交通    電話 o978-62-5411 

杵築観光案内 電話 0978-63-0100

*バスダイヤは大分交通に確認すること
*お手洗い なし

 
12
 
東大寺僧形八幡神坐像
東大寺僧形八幡神坐像 posted by (C)poco


御神像をご覧になったことはありますか?



大半の方が首を横に振られると思います。
そして仰る。

「神様は山や木に宿られて姿はないでしょ」と。

確かに、そうです。
が、
神仏習合により山や木や岩などにお宿りになっていた神は、
その時代の徳の高い人に降りられるようになりました。
それが高僧や天皇です。


私がはじめてご神像にお目もじしたのは
東大寺勧進所の一角、東大寺八幡殿でのことです。

トップの画像がそのご神像、
「僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)」で
いらっしゃいます。


この保存状態のよい、おきれいなお像は
快慶の作です。



次回は、わたくしがつい「お美しい」

口をもらしたご神像、

大分県奈多海岸、八幡奈多宮の應神天皇(八幡神)
のお像を
新幹線、在来線、バスを乗り継ぎたずねた様子を
あらわしながら紹介いたします。


1 ご神像をご存知ですか
2 よしっ 八幡奈多宮に行こう
3 八幡奈多宮 ご神像を訪ねて
4 神像の美



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東大寺僧形八幡神坐像(秘仏)

東大寺の鎮守八幡宮(現、手向山八幡神社)の御神体でしたが、
明治の神仏分離・廃仏毀釈によって、東大寺に移されたものです。

    寺院に行かれてお気がつかれる方も多いと思いますが、
    古い御寺には鎮守のお社が祀られています。
    これは、本来、神の国であった日本に仏教が伝来し
    ひろまったためにおこる争いをさけるためにとられた
    共存共栄=神仏習合政策がもたらしたものです。
    ご神像は平安初期よりみられ、奈良薬師寺の鎮守さま、
    休ヶ岡八幡宮のご神体が有名です。


開扉日 毎年10月5日(9:00~16:00)
場所  東大寺勧進所八幡殿・入堂無料

*当日は勧進所阿弥陀堂の五刧思惟阿弥陀如来坐像
 開扉されます。

 
08
 
多田宏九段
多田宏九段と入江康仁五段 posted by (C)poco


合気道を知ったのは30年以上前になります。

その当時は、合気道はまったく知られておらず、
知っているという人でさえ、
相手の体にふれずに、エイヤアと相手を気合いで投げ飛ばすんでしょ、
なんてまことしやかに言っていたものです。

いえいえ、今現在もそういうふうに思われています。

自分なりに懸命に稽古をしているつもりですが、
ちっとも上手にはなりません。
合気道の真髄にふれることもできません。
情けないかぎりです。


多田宏九段
posted by (C)poco


合気道はとても日本的なものだと思います。
柔道や剣道、空手の対極にあるように思えます。

少しづつ、このブログでも合気道のことを
そして合気界の至宝である我が師の
多田宏九段のことなどを紹介していこうと思っています。

今回は我友であり、出来の悪いわたくしを嫌がらずに
お稽古の相手をしてくれた入江五段のことを紹介しましょう。


合気道入江康仁四段
合気道家入江康仁五段 posted by (C)poco

<入江康仁五段略歴>

1982年 京都生まれ 神奈川育ち
      早稲田大学進学後合気道会に所属し、
      本部道場、月窓寺道場を中心に稽古をつづける。
      早稲田大学合気道会45代主将となる。
2008年 早稲田大学専門職大学院公共経営研究科に
      合気道の専門家として入学(1年コース)
2009年 3月 大学院卒業

2010年 (財)合気会合気道多田塾入江道場設立

2011年 2月、本拠地を京都へ移す
      3月より京都市武道センター 旧武徳殿にて稽古会を開始
 

現在、京都を中心に合気道場を開設。
      (そのほか滋賀、東京桜堤)

入江道場ホームページ

果敢に合気道場を開拓している入江五段です。少しずつ生徒さんも
ふえていますが、まだまだです。
そんな五段の稽古日誌を転載しました。

技(入り身)や対峙、同化、気の感応等普段聞くことの
ない単語がでてきますが、これらのこと追々説明できたらと
思っています。

en1  en1
入江道場稽古日誌  4月7日

烏丸御池で稽古をしています。まだ会員は少ないですが、
自分としては楽しくいい稽古ができています。

稽古のテーマは入身です。自分が入身をしていくことによって相手の線をはずす。
相手の線をはずした位置に自ら入身をするということ。相手の線をはずすために
入身をするというのとは違います。結果的にそうなるようにするということで、
それは目的には成り得ません。また勝手にそういう結果になったというのも違う。
ちゃんと自分でそういう結果を導き出していくことに意味があります。

掛り稽古などで、スピードをつけてやると大抵最初から受けがずれたところで取ったりします。
そうするとこういう稽古はできません。元々同じ線の上でしっかり向かい合っている。
その時、相手とどう向き合っているかということがその後の結果を変化させると思います。

対峙するのではなく、同化する。そういう感じを常に持って稽古をしていきたいと思っています。
こういうところは、気の感応で当たる状態を作っていくのと似ています。
桜堤に来ている兄妹が京都へ旅行で来たらしく、稽古の終わりに会いに来てくれました。
嬉しいものです。次回はぜひ稽古に。

<稽古内容>
坐技正面打一教 正面打一教 片手取呼吸投 相半身入身投 坐技呼吸法

片手取呼吸投 四方投 入身投 小手返 坐技正面打一教 坐技呼吸法



*掲載の画像の転載は多田塾生のみとさせていただきます。
*2015年現在五段です。
 
04
 
静寂の尼僧寺院と正暦寺ツアー録
<菩提山大本山 正暦寺( しょうりゃくじ)>

正暦寺 客殿
正暦寺 福寿院客殿 posted by (C)poco


住所 奈良市菩提山町157
電話 0742-62-9569
交通 近鉄奈良駅から、米谷町行きバスで23分
        「柳茶屋」下車、徒歩30分

山号  菩提山
宗旨  菩提山真言宗
本尊  薬師如来倚像(やくしにょらいいぞう)
創建  正暦3年(992年
開基  兼俊僧正(九条兼家の子)
拝観料 福寿院客殿500円
ホームページ



菩提山 道標
菩提山 道標 posted by (C)poco


菩提仙川に沿う山道、棚田の中を車が走ります。
バスがぐんぐん山の中にはいっていきます。
この時期(2010.2.10)は枯れ色で寂しい風景ですが、
秋の紅葉期には錦の里といわれ
車が数珠つなぎになるといいます。


菩提山正暦寺
菩提山 posted by (C)poco



聞こえてくるのは菩提仙川のせせらぎと鳥の鳴き声。

彩りが乏しい中、おびただしい数の南天が
とても鮮やかです。


正暦寺DSC_0817
posted by (C)poco


正暦寺は日本酒の発祥の地といわれ、
日本で唯一お酒を作ることができるが寺院です。
僧坊酒として作りだされた諸白(清酒)は今も伝わって作られて
おり、奈良の蔵元11社が年に1回御寺より酵母を持ち帰り
製造販売されています。


菩提山正暦寺DSC_0785
posted by (C)poco


菩提山正暦寺DSC_0789
posted by (C)poco


正暦寺の御本尊は秘仏・金銅薬師如来薬師如来倚像。
椅子に座られ両足をおろしておいでの珍しい
姿をしておいでです。
が、秘仏です。残念ながら拝観はかないません・・・。


福寿院客殿(トップの画像)ではご住職に
この御寺の説明をいただきました。

その昔、この菩提山には200以上の寺院が
あり隆盛をほこっていたとのことで現ご住職は
何度も何度もナンドモ、昔の栄華を昨日の
ことのように語っておられ、

その内容に聞き入るより、憤懣やるかたない様子で
語られるご住職のお声や身振りが私には面白くも
おかしくもありました。

ご住職の声と交わるようにいろいろな鳥の鳴き声が
聞こえてきます。

ご住職の説明が終わると、奥の座敷に通されたのですが、
なんとそこには、
鎌倉時代作の木造孔雀明王坐像が安置されていました。


孔雀明王坐像 正暦寺
孔雀明王坐像 posted by (C)poco



孔雀は綺麗な姿をしていますが、毒蛇をも食べることから
霊験あらたかな功徳をもつと信仰の対象にされ、
のちに毒を食べる、すなわち人間の煩悩をも食らうという
功徳が広まって一般化します。

孔雀明王坐像は図としてはたくさん残っていますが、
古くからの彫像としては、この正暦寺のものと
高野山金剛峯寺の快慶作のもの二体のみが現存すると
思われます(未確認)。↓


孔雀明王坐像 高野山金剛峯寺 霊宝館収蔵快慶作
孔雀明王坐像 高野山金剛峯寺 霊宝館収蔵快慶作 posted by (C)poco



客殿の福寿院の後、瑠璃殿(宝物館)に通されたのですが、
なんとそこで、秘仏であられる、

金銅薬師如来倚像(こんどうやくしにょらいいぞう)



  金銅薬師如来倚像 正暦寺本尊
御本尊金銅薬師如来倚像  posted by (C)poco

が安置されていました。


日本の秘仏 という本でお会いして以来、拝観したくても
スケジュールがあわずあきらめていたお仏像様です。

倚像(いぞう)とは腰かけた像という意味です。 

白鳳時代の作とされ、像高は、35cmとお小さいですが、
シンプルなお顔の造作はかえって、理知的なものを感じ
させて、なにもかも見透かされているような気持が
おこります。
まさに小さな巨人です。

お姿はお座りになってしっかと踏割蓮華(ふみわりれんげ)
に足をおろしておいでです。

このような、両足をそろえておいでのお仏像様は珍しいです。
が、
東京の深大寺にやはり同じ白鳳時代作の

深大寺 金銅釈迦如来倚像
深大寺 金銅釈迦如来倚像 posted by (C)poco


金銅釈迦如来倚像が安置されており、両足をおろして
おいでです。
像高は84cmと3倍ほどおありですが、お仏像の優劣を
語るのは下品だと思うのですが、お小さい正暦寺の
如来様のほうが繊細で優美です。


菩提山正暦寺
posted by (C)poco


菩提山正暦寺DSC_0827
僧侶の供養塔・墓石群posted by (C)poco

正暦寺DSC_0824
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正暦寺 本堂 posted by (C)poco


菩提山正暦寺DSC_0855
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菩提山正暦寺 手水鉢 DSC_0835
菩提山正暦寺 手水鉢 posted by (C)poco



この正暦寺は精進料理でも有名です。

すべて正暦寺のまわりで採れたものを奥様が
料理して出してくださいます。
おいしいし量もたくさんで言うこと無し。
いえいえ美味しい美味しいと言うこと有りでした。


菩提山正暦寺 精進料理DSC_0858
菩提山正暦寺 精進料理 posted by (C)poco


ご馳走様でした。                                    

                              奈良交通主催 静寂の尼僧寺院と正暦寺ツアー  完



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<正暦寺見のどころ>
・秘仏 金銅薬師如来倚像 
   ご開帳日 2012年4月18日~5月8日/12月22日(冬至)(詳細
・孔雀明王
・僧侶供養塔・墓石群

この正暦寺見仏記録は奈良交通の「静寂の尼僧寺院と正暦寺」ツアー
に組みこまれたものです。
個人では拝観が難しい興福院、個人では拝観不可の円照寺、そして秘仏
拝観のうえ、精進料理を口にすることができる正暦寺ツアーが可能です。
春と初冬に催されています。ツアー料金 7.000円(昼食こみ)
詳細は奈良交通 0742-22-5110 にお尋ねください。
*精進料理こみで7.000円はとてもお得だと思います。

この記録は2010年2月に拝観したものです。
実際のツアーの順路は、近鉄駅前9時30分発 興福院正暦寺円照寺 です。



参考ウェブ・文献
 
仏像ガイド
深大寺 金銅釈迦如来倚像
高野山霊宝館


 
03
 
その1/2/3/4/5/6/7

弘法大師堂石仏DSC_1036
円照寺弘法大師堂石仏 posted by (C)poco



↑奈良円照寺は三島が豊饒の海4部作のために
取材におとずれた尼寺です。

このことは、往復書簡の中で「取材のため、関西と九州に
まいります」としたためられています。

この豊穣の海4部作にて三島由紀夫はノーベル賞受賞を
確固たるものにしようと思っていたのではないでしょうか。


昭和43年川端康成ノーベル賞受賞で二人の間には
温かい交流がなくなったといわれています。
確かに手紙のやるとりはなくなります。

しかし気持がさめたのではないことが1年後の手紙に読みとれます。
三島は川端との関係を今まで通り続けたら「遂行あるいは決起」できなく
なってしまうと思ったのでしょう。
が、
1年後の44年8月に手紙をだし、
「なんとしても護らなければならない」ことを川端にたくします。

その一節を引用しましょう。

昭和44年8月4日付
下田ホテル内三島由紀夫より鎌倉市長谷264あて

・・・・・・
 ますますバカなことを言ふとお笑ひでせうが、小生が怖れるのは死ではなくて、
死後の家族の名誉です。小生にもしものことがあったら、早速そのことで世間は
牙を剥きだし、小生のアラをひろひ出し、不名誉でメチャクチャにしてしまふやうに
思はれるのです。生きている自分が笑はれるのは平気ですが、死後、子供たちが
笑はれるのは耐へられません。それを護って下さるのは川端さんだけだと、
今からひたすら便り(ママ)にさせていただいてをります。




昭和45年7月6日付三島由紀夫から川端康成に宛てた最後の手紙

・・・・・・
 空手を三年目にやっと黒帯をもらひ、武芸合計九段になりましたが、
さて強くなってみると襲って来る者もなく、物足りない気分で過ごして
をります。
 時間の一滴々々が葡萄酒のやうに尊く感じられ、空間的事物は、
ほとんど何の興味もなくなりました。この夏は又、一家揃って下田に
まいります。美しい夏であればよいがと思ひます。
 何卒御身御大切に遊ばしますやう。           匆々
     七月六日              三島由紀夫
  川端康成様



同年 11月25日  
   陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地東部方面総監室にて自決

翌年 1月26日
   築地本願寺にて葬儀

   葬儀委員長 川端康成

昭和47年4月16日
   逗子マリーナの仕事場にて川端康成ガス自殺

   密葬






注・川端香男里(養女政子の夫)氏によれば最後の手紙はほかにあった由。これは残しては
  ならないという思いで川端家によって燃されたそうです。
                              川端康成三島由紀夫往復書簡 完

                                                   
その1/2/3/4/5/6/7



奈良 円照寺
奈良 円照寺 posted by (C)poco

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