白マム印 日本のこと日本のもの

 
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8月14日11:00奈良十輪院→12:30仏教美術資料センター→13:40東大寺 



<龍源院 りょうげんいん>

龍源院
表門


「重要文化財に指定されている方丈、
唐門、表門は創建当時のままで、
大徳寺山内でも最古の建物」と、
あとで知りました。
後述しますが、
予習せずに拝観したことを今回ほど
後悔したことはありません。



龍源院2012年08月13日_DSC_0201
表門

龍源院は
大徳寺の山号である龍宝山(りゅうほうざん)の「龍」と
中国・臨済宗松源派の祖・松源崇岳(しょうげんすうがく)の
禅を正しく唯一継承する松源一派の「源」の2文字を採って
命名されたものです。



龍源院2012年08月13日_DSC_0204
方丈南庭 一枝坦(いっしだん) 
   手前が亀島
   奥の3石 蓬莱山
   右端2石 鶴島


龍源院 一枝坦(いっしだん)
一枝坦 亀島

楕円に象った苔に低めの石、二石。
斬新さと安らぎのぎりぎりのせめぎ合いでいて
剣を感じさせずとてもバランスがとれており
安泰というものを見るようです。

作庭は昭和55年(1980年)、
当時の住持、喝堂和尚です。
素晴らしい美意識の持ち主ですね。

龍源院2012年08月13日_DSC_0217

 



龍源院2012年08月13日_DSC_0216
方丈にかかる扁額 明・方梅崖




龍源院本尊 釈迦如来坐像2012年08月13日_DSC_0210
龍源院本尊 釈迦如来坐像 鎌倉時代 行心作

この御本尊さまはとても穏やかなお顔をされており
京都八釈迦(注1)の一体です。



龍源院2012年08月13日_DSC_0209




龍源院2012年08月13日_DSC_0206




龍源院2012年08月13日_DSC_0208
開祖堂
   手前の石が鶏足山




龍源院2012年08月13日_DSC_0222
方丈北庭 龍吟庭




龍源院 龍吟庭
龍吟庭
   奥が須弥山石
   その前の丸い石は遥拝石




龍源院 銘狐窟
書院の間 銘狐窟
  



龍源院2012年08月13日_DSC_0225




龍源院2012年08月13日_DSC_0230
東の庭 東滴壷(とうてきこ)




2龍源院012年08月13日_DSC_0232

力強い直線と優しい円。

この東滴壷は日本最小のお壷として有名です(2坪ほど)。
最小というより、
その完成度の確かさ、
引くこと、無の美しさを如実に具現した
すばらしいお庭です。

 パンフレットより
  底知れぬ深渕に吸い込まれそうな感じのする
  格調高い石庭である。




2龍源院012年08月13日_DSC_0235

ひと滴の波紋のさまの美しこと。

説明を聞かずとも
その一滴が大河となり大海へそそぐさまを
誰もが想像します。

禅的に意味があるのでしょうが、
禅語に精通していない私には語る言葉が
ありません。

ただただ無の美しさに心魅かれました。

この東滴壷は昭和35年に造られたもので
三玲の弟子の鍋島岳生(なべしま がくしょう)
の作(遺作)です。(注2)



龍源院2012年08月13日_DSC_0234




以上が私が見たお庭ですが、
実は悔やみきれない見落としがあります。

書院南軒先にある
「滹沱底(こだてい)」
です。
別名 阿吽の石庭。
写真で見るかぎりですが、
このお庭も東滴壷同様に簡素でいて
見る者の想像力をかきたてるお壷です。
使用されている石は
聚楽第のものと伝えられています。

後悔!




龍源院
龍源院のかえる君


さて↑この画像。
実は龍源院の受付を通って一番に撮った
写真です。
本音を言えば、
「有名な禅寺がこんな置物をおきますか!?」と


がっかりして踵を返しすぐさま
方丈南の一枝坦へのぞみました。
が、
このブログをアップするにあたり
庭園略図をみると、
「滹沱底(こだてい)」のあった書院の
ような気がします。
勿論見当違いの可能性も大です。

かえる君さえいなければ、
滹沱底に気がついたかもしれません。

なににせよ、この蛙の置物!
もしや、この蛙もいわく因縁のある
文化財なのでしょうか?

出所をご存知の方ご教示ください。



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参考

拝観料、拝観時間 350円
午前9時~午後4時30分
TEL:075-491-7635

常時拝観 塔頭
龍源院
瑞峰院
大仙院 写真撮影不可
高桐院

<注1:京都八釈迦>
調べたのですが、泉涌寺塔頭 戎光寺木造釈迦如来像
のみがわかりました。

<注2:鍋島岳生>
1913-1963年没
佐賀鍋島藩の末裔、本名は雄男。
東京農業大学卒業。
重森三玲の弟子となり
全国一斉古庭園実測調査
の実測製図を担当した。
その時の調査が基礎力となる。
この東滴壷が遺作。

*鍋島岳生作庭の庭園をご存知でしたらご一報ください。

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2012年魔夏の京都・奈良神社仏閣見仏記
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大徳寺にある22の塔頭のうち常時拝観可能なのは
4塔頭です。

今回3塔頭拝観したのですがそのうちの撮影可能な
2塔頭をご披露いたします。

<瑞峯院>

大徳寺 瑞峯院(ずいほういん)
大徳寺 瑞峯院(ずいほういん)


キリシタン大名として名高い大友宗麟が自らの菩提寺として
創建したものです。

この瑞峯院庭は昭和の作庭家、重森三玲になるものとして
有名です。
私自身、三玲の庭見たさに炎天下の大徳寺へよろばいながら
まいった次第です。



瑞峯院



瑞峯院2012年08月13日_DSC_0170


きつい日差しをやっとしのぐことができてほっとし
気がゆるんでしまいました。
入ってすぐ右手に「東の壷庭」があります。
お恥ずかしいことにこのお庭があとで肝となることに気がつかず
ポイントをついた写真を撮っていませんが、
写真右手が立て蹲(つくばい)。
そしてその左手にみえるのがキリシタン灯籠です。



瑞峯院2012年08月13日_DSC_0185
方丈南庭 独坐庭

パンフレットによると

峨々たる蓬莱山の山岳から半島になり、大海に絶え間なく荒波に、
打ちよせもまれながら雄々と独坐している、大自然の活動をあらわしており
「独坐」とは、
中国の禅僧百丈禅師が、独坐大雄峰と呼唱された禅語からの引用だそうです。
その意味は
泰然自若として悠々と一人座禅を組む。雑念は一切消えそのことに没頭する。

ということです。

瑞峯院2012年08月13日_DSC_0184<



瑞峯院012年08月13日_DSC_0176

↑独坐庭の奥(西側)は静かな入江をあらわしています。



瑞峯院2012年08月13日_DSC_0183

方丈南の扁額
105代・後奈良天皇の宸筆。



瑞峯院2012年08月13日_DSC_0181
方丈北庭 閑眠庭 

この閑眠庭は「十字架の庭」ともいわれています。
そういわれても
わからない。知っててもわからない。
知らないともっとわからない。
というか、
気がつきません。

トップ画像から3枚目の
「東の壷庭」のキリシタン灯籠がここで
肝要なのです。

東の壷庭のキリシタン灯籠を背にこの北の閑眠庭を
ながめると、↓


瑞峯院閑眠庭 十字の謎
瑞峯院閑眠庭 十字架の謎


瑞峯院 キリシタン灯籠
東の壷庭のキリシタン灯籠


実は私自身、ブログを下書きしながら
画像に線をひいてやっと明確にわかりました。

大徳寺 瑞峯院 閑眠庭 十字架の庭
大徳寺 瑞峯院 閑眠庭 十字架の庭

この「閑眠庭」は「閑眠高臥して青山に対する」という禅語からきており
老齢にはいり心にかかる何事もなく、こだわり無く、しずかに眠り青山に対す。
修行をし尽くした後の悠々閑々とした境地をさすとのことです。


瑞峯院012年08月13日_DSC_0179





瑞峯院2012年08月13日_DSC_0189
東の壷庭

右手にあるのがキリシタン灯籠です。
あの灯籠を背にして閑眠庭をみると
重森三玲がきっと大友宗麟の気持を斟酌して
つくったであろう十字の石が浮き出てくるわけです。

私はこの瑞峯院のなかで小さな、
この「東の壷庭」が一番好きです。



瑞峯院012年08月13日_DSC_0174




瑞峯院2012年08月13日_DSC_0188
茶室 安勝軒



問題は茶室、餘慶庵(じょけいあん)の西庭の露地です。

瑞峯院2012年08月13日_DSC_0177
餘慶庵 露地

素敵でしょ?
悪くはないとおもいます。
ところが、なにかひっかかりませんか?

瑞峯院2012年08月13日_DSC_0178

再度言います。
素敵でしょ?

私は、素敵だけどアレレとずっとひっかかるものがあって
ブログを下書きしながらネット検索をし続けたら
なんと三玲のお孫さんの千青さんのウェブに行きつきました。

そこにはこの西庭の露地に関して痛烈な記述がありました。
この西庭は三玲の作ではなく
三玲の作を解体して作りかえられたとのことです。

これで私のアレレも解決しました。
実は、素敵だけど「普通に素敵」であって
三玲の作とは異質だなあと思っていたのです。

当初の三玲の西庭は草木1本ない敷石が詰められて
立手水鉢のみがおかれた
簡潔にして簡素にして独創的なもので、
現在の西庭とは全く趣が違います。

お孫さんの重森千青さんのウェブには当初の写真がアップ
されていますのでどうぞごらんください。
お孫さんならではの歯に衣着せぬ物言いは気持よいものです!



IMG_0002_NEW_0002



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拝観料  400円 抹茶400円
お問い合わせ075-491-1454

*重森千里 現代の庭園
カバ屋印マムの素もあわせてごらんください。


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2012年魔夏の京都・奈良神社仏閣見仏記
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大徳寺
  大徳寺総門


紫野和久傳の角を曲がると大徳寺一久。(注1)
その向かいにあるのが広大な敷地をもつ大徳寺です。


住所  京都市北区紫野大徳寺町53
電話  075-491-0019
交通  JR京都駅より京都市営バスで約30分、大徳寺前下車すぐ

山号   龍寶山(りゅうほうざん) 
宗派   臨済宗大徳寺派 大本山
創建年  1325年(正中2年)
開基   大燈国師宗峰妙超(しゅうほう みょうちょう)
本尊   釈迦如来
正式名称 龍寶山大徳禅寺
臨済禅公式サイト

大徳寺2012年08月13日_DSC_0142


総門をくぐると
右手に勅使門があります。


大徳寺勅使門
勅使門



大徳寺勅使門




大徳寺勅使門2012年08月13日_DSC_0145




大徳寺勅使門





勅使門とは天皇家の使いの者が出入りする
門をいいます。
この大徳寺の勅使門は江戸時代初期に
御所より下賜(かし)され移築されたものです。


大徳寺三門
三門(金毛閣)


この三門(金毛閣 注2)が千利休の切腹の原因と
いわれています。

応仁の乱で荒廃したものの金銭的理由によりこの
三門の修理は1層のまま放置されていました。
絶頂期にあった利休はこの修理に乗り出し
2層部分を完成させます。
この功績を讃えて住持であった
古渓宗陳(こけいそうちん)が草履ばきの
利休の木造をこの階上に祀りました。

それを知った秀吉は「高貴な方が通る三門に
草履ばきの利休がいるということは
高貴な方を踏みつけにすること」と非常に立腹し
利休に対して切腹を命じたといいます。(注:3)
 

大徳寺仏殿
仏殿(本堂)



大徳寺仏殿




大徳寺仏殿本尊釈迦如来
ご本尊 釈迦如来坐像



大徳寺仏殿


大徳寺の歴史をひもといていくと
有名人が次々にでてきます。
先の
千利休はもとより
村田珠光
一休禅師
沢庵禅師

泉下には
織田信長
石田三成
大友宗麟
細川ガラシャ

など綺羅星です。


境内には、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が甍を連ね、
それぞれに貴重な、建築、庭園、美術工芸品が多数残され
ていますが、非公開の塔頭が多く、
その中でも福岡藩主黒田長政が建てた龍光院(注4)は国宝が
目白押しです。

常時公開の塔頭は4寺院です。(注5)

今回、3塔頭を拝観しましたがうち2塔頭が撮影可でした。
次回はこの2つの塔頭をご案内いたします。

あまりの暑さに3塔頭を拝観するのも息も絶え絶えの
情けないありさまでした。




大徳寺 瑞峯院(ずいほういん) 大徳寺 龍源院(りょうげんいん)
瑞峯院                        龍源院

                                            つづく
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参考

<注1:大徳寺一久>
大徳寺一久


<注:2金毛閣>
「金毛閣」とは金毛の獅子のことで、すぐれた禅僧の姿を言います。
「この門をくぐる者は、金毛の獅子となって、すべし」。
すぐれた禅僧となり生あるものすべてを救いなさいという意味。
現在、
利休の雪駄を履き、露地杖をもった木像が安置されていますが
これは当時のものではありません。
岡山池田藩家老の伊木三猿斉の没後に邸内の祖堂に祀って
あった物を未亡人が寄進(明治二十年)したものです。

当初の利休像は利休切腹とともに首を切り落とされて
今出川に捨てられたといわれています。
が、
裏千家の利休御祖堂に奉祀されていると裏千家のHPに記載されています。


<注:3切腹>
切腹の理由はこれのみではなく、複合的なものと
いわれています。
ありていにいえば、絶頂期を迎えた利休が
目ざわりとなったということでしょうか。

<注:4>
龍光院の国宝には
日本に3点ある国宝曜変天目(ようへんてんもく)茶碗
の一つが所蔵されています。

国宝曜変天目
 龍光院
 静嘉堂文庫
 藤田美術館

龍光院自体非公開で所蔵国宝もむろん非公開です。
故に寺宝の天目も写真でのみですが観たことがありますが、
実際に観たことがある静嘉堂文庫が所蔵する曜変天目
の稲葉天目に比べると正直いえばかなり落ちます。
これを評論などでは「地味」といいかえています。

ちなみに
もう1点は藤田美術館所蔵ですが静嘉堂稲葉天目には
かないません。
静嘉堂とは三菱・岩崎家コレクションです。
それはそれはすばらしいコレクションです。

この静嘉堂文庫の曜変天目の稲葉天目は徳川家光が
春日局に下賜したもので稲葉家に伝わるものです。
大正期に稲葉家から三井家に渡ったのですがその時の
お値段が17億円です。昭和にはいり岩崎家へと持ち主
が変わりました。  (脱線してすみません)

国宝曜変天目(稲葉天目)
静嘉堂所蔵 国宝曜変天目(稲葉天目)。HP参照


<注5:常時公開塔頭>
龍源院
瑞峰院
大仙院
高桐院


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8月13日8:40北大路駅もくもく号出発→10:00志明院→12:00上賀茂神社
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上賀茂神社


住所    京都市北区上賀茂本山339
電話    075-781-0011 ‎
交通    地下鉄烏丸線北大路駅下車、
北大路バスターミナルより37系上賀茂神社下車
        

御祭神   賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)
創建    (伝)天武天皇7年(678年)
建築様式  三間社流造
ご神紋   二葉葵(注1)
    125_20120821181718.jpg
*5月15日賀茂祭
ホームページ

上賀茂神社


よく見ると鳥居の勧請縄が三つ編みこみ
のようで、ちょっとめずらしいかなと
思いながらくぐります。

陽の射さない岩屋山に比べて
陽を遮るものがまったくない賀茂神社の
暑いこと暑いこと。

汗だくになりながら進むと
この暑い中、結婚式!


110

新婦以外はみなさん不機嫌なお顔。
熱射病は大丈夫かしらとしばし立ち止まり見物。
この暑さ、立ち止まるのは私ひとりで
結婚式としてはちょっと淋しく、
お気の毒なお式でした。


上賀茂神社といえば立砂(たちずな)が有名です。
私自身もこの立砂(盛砂)を見たいが故に
この炎天下、覚悟してこのお宮さんを訪ねたのです。


上賀茂神社 立砂(盛砂)
立砂


上賀茂神社のご神体は、本殿の北北西約2キロの所にあり、
雷神が降臨されたといわれている「神山(こうやま)」があります。
立砂はこれに因んだもので、神の憑代(よりしろ)でもあります。
鬼門にまく清めの砂の起源とされています。


上賀茂神社
細殿



113
舞殿(橋殿)



なんだか私にはなさけな~いしらけ鳥にみえるのですが、

124
手水


なんてバチあたりなことを。
手水です。
この手水舎の水は、賀茂別雷(かもわけいかづち)大神が
ご降臨された神山の水をくみ上げたものです。



上賀茂神社



上賀茂神社
願い筒




108
片岡社



上賀茂神社 片岡社
片岡社

片岡社(かたおかのやしろ)。
祭神は、賀茂玉依姫(かもたまよりひめ)。
上賀茂神社の祭神の賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)
のお母さんです。
紫式部がこの片岡社で自らの恋の成就を祈った歌(注3)されいるそうです。
そこから恋愛成就に御利益があるそうです。
縁結絵馬はハートの形で、色もカラフルです。




さあ、本殿に参拝しましょう。

上賀茂神社
楼門



上賀茂神社 拝殿
高倉殿(拝殿)


拝殿の檜皮葺屋根を見て 
あっ!
パッチワーク。
多分、烏が巣を作るために檜を抜いて
持ち去ったのでは・・・。(注2)


上賀茂神社
権殿・本殿(国宝)



103
蛙股



105



107
拝殿から見た楼門



上賀茂神社 玉橋
楼門前の玉橋


「ならの小川」(後述)の支流、「御物忌川(みものいみがわ)」に
架かっている橋ですが、結界がはってあり渡るのは禁止されています。



上賀茂神社
岩上



この玉橋の先にこんもりとした薄暗い森がみえますが
岩上(がんじょう)なる岩が鎮座しています。
原初神道の形をあらわしたものです。
現在では葵祭の際に、宮司が岩の上で返祝詞を申される神聖な場所。
パワースポットとして人気を集めています。



上賀茂神社 ならの小川
百人一首にうたわれたならの小川

   風そよぐならの小川の夕暮れは
     禊ぎぞ夏のしるしなりけり  藤原家隆(ふじわらのいえたか)


暑さで火照ったからだをさますために
この小川のほとりでしばし休憩。


上賀茂神社 二葉葵

ほとりに二葉葵!
  タブンですが。(注4)

涼しい風が吹いてきます。
充電完了です。
次は大徳寺へ行きましょう。



102 101


IMG_0001_NEW_0002



en1  en1


<備考>
これも岩上なのか?
調べるのですがわかりません。
ご存知の方、ご教示くだされば幸いです。
上賀茂神社

<注1:二葉葵>
長野の善光寺も葵のご紋です。
詳細はコチラをご覧ください。
2011年07月03日_DSC_0917善光寺 寺紋
2011年07月03日善光寺 寺紋posted by(C)poco

<注2:檜皮葺屋根>
奈良 円照寺の本堂の屋根は烏の巣作りのために
抜かれ随分痛んでいます。詳細はコチラをごらんください。
奈良 円照寺 本堂円通殿
奈良 円照寺 本堂円通殿 posted by(C)poco

<注3:歌>
紫式部の歌
 ほととぎす 声まつほどは 片岡の
     もりのしづくに 立ちやぬれまし

           (新古今和歌集:第三巻 夏歌)
「和歌の意味」
ホトトギス(将来の結婚相手)を待ちわびる間、
片岡社の木の下に立ち、朝露に濡れていましょう。

<注4:二葉葵>
楼門の脇に自生しているらしいです。
今度、行かれるかたは探してごらんになっては。



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<岩屋山金光峯寺志明院 いわやざんきんこうほうじ しみょういん>

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伝 小野道風 扁額岩屋山


住所  北区雲ヶ畑出谷町261  
電話  075-406-2061
交通  烏丸線北大路駅前より「もくもく号」終点下車、徒歩30分(注1)
山号  岩屋山 
宗派  岩屋山不動教の本山 
創建年 650年
開基  役行者
本尊  不動明王(岩屋不動)

拝観料 300円(シャクナゲの季節400円)
ホームページ無
*4月29日に志明院大祭
*携帯圏外

      



   97



98
室町時代再建 志明院仁王門posted by(C)poco



もくもく号(注1)に北大路駅前より乗車すること30分。
賀茂川に沿って乗りあいバスは北山杉の中を進み
終点は岩屋橋です。

95 112.jpg
114.jpg 113_20120819202502.jpg


杉の倒木がいたるところにみられ落石注意の札も。
そこからさらに30分山道を歩きやっと志明院に
たどりつきました。


志明院に流るる水は賀茂川の源流のひとつ。
京都の水神ともいわれ古くより
皇室より敬われ本尊の不動明王は弘法大師の作、
根本中院の不動明王は菅原道真の作といわれています。

歌舞伎十八番の鳴神上人(注2)の舞台としてもしられており
道具だては万全の山寺といっても過言ではありません。

102
posted by(C)poco


107.jpg


仁王門より先は撮影不可。
荷物は寺務所に預けての参拝となります。

山内はこんもりと生い茂る木々により日差しがなく
薄暗く湿度をおびています。
苔むした石段をあがり一人で散策するには
静かで重い雰囲気をもつお寺です。
岩屋にひとりはいるのも及び腰になってしまいます。



P8090928
                                    テレビBS5より撮影



 本堂 
    弘法大師作 不動明王
    伝運慶・堪慶作 金剛力士
志明院P8090921
                                 テレビBS5より撮影


 飛竜の滝 
    鳴神上人の修行の場 涼やかに現在も水が落ちています
志明院P8090919
                                 テレビBS5より撮影


 護摩の岩屋
    弘法大師・鳴神上人の護摩行あと
    6b80eeda1857ac501f668aba305a24c8.jpg


 根本中院(懸崖造り)
    菅原道真作 眼力不動明王


 神降窟
    小さな泉ですが賀茂川の源流とされる場所 
    弘法大師空海が源流として祀って以来神聖視されています
志明院P8090925
                               テレビBS5より撮影



これらが、
急な傾斜を利用し姿をみせます。

104_20120819153435.jpg


4月5月にはシャクナゲが咲きほこりこのときばかりは
山内は多くの人であふれるといいます。
写真で見る限りですがシャクナゲが咲くさまは
見事です。


105.jpg


道具立て万全といったにも関らず
あまり存在を知られていないのは
雅にかける鄙なる様子のせいかもしれません。

雰囲気としては奈良です。


108.jpg

70歳になられるという、八千草 薫似の
おきれいな奥様にたてていただいた
お茶と羊羹をいただきながら眺めるお庭は
野趣にあふれています。

お茶をいただきながら
この山寺を司馬遼太郎さんが気にいられて宿泊されて
いたことや、司馬さんにはもののけが見えたこと。
そして宮崎駿さんがもののけ姫をこの寺で考案されたこと
などをお聞きしました。

109.jpg

しかし、そのようなお話より
盛んに70歳になってこの山の中でくらすのは
心細いことですと仰ったことの方が
私にはとても響きました。

110.jpg



IMG_NEW_0001


en1  en1

111.jpg

<注1:もくもく号>

烏丸線北大路駅前より1日2便運行

平日 雲ケ畑行き  北大路行
    8:40   9:15
   13:45  14:20
土休日雲ケ畑行き  北大路行 
    8:40   9:15
   14:35  15:10  
運賃 大人500円 子供250円

*もくもく号ホームページ

<注2:鳴神>
歌舞伎十八番の一。
志明院の僧、鳴神上人は世継ぎのない天皇からの依頼をうけて
寺院建立を約束に皇子誕生の願をかけ、成就させる。
しかし当の天皇が寺院建立の約束を反故にしたため、怒った上人は
呪術を用いて、雨を降らす竜神を滝壷に封印してしまう。
それからというもの雨の降らぬ日が続く。
朝廷は内裏一の美女・雲の絶間姫(くものたえまひめ)を上人の許に送り込み
色仕掛けで鳴神上人を籠絡する。
酒に酔いつぶれて眠ってしまった隙に、姫が滝壷に張ってある注連縄を切ると
封印が解け、竜神がそこから飛び出すと一天にわかにかき曇ってやがて豪雨となり、
姫はその場を逃げ去る。
雨の音に飛び起きた上人はやっと騙されたことに気づき烈火のごとく怒り、
髪は逆立ち着ている物は炎となって姫を逃さじと、その後を追いかける。
                                   (Wikipediaより)


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11
 
文藝春秋 2012年 09月号 [雑誌]文藝春秋 2012年 09月号 [雑誌]
(2012/08/10)
不明

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いつも言うことですが、
芥川賞受賞作は単行本で読むよりも
文藝春秋を購入して読む方が10倍
お得です。

この1冊で受賞作も読めて、
選評も読めて、受賞者のインタビューも
読めて、他の記事も読めます。


今回、第147回上半期の芥川賞候補作は

戌井昭人「ひっ」(新潮6月号)
鹿島田真希「冥土めぐり」(文芸春号)
鈴木善徳「河童(かっぱ)日誌」(文学界5月号)
舞城王太郎「短篇(たんぺん)五芒星(ごぼうせい)」(群像3月号)
山下澄人「ギッちょん」(文学界6月号)

上記の候補作をながめていて
気になる事が2つ。

ひとつは、
「ひっ」と「ギッちょん」という
小説名です。
この題名からはなにも見えてこないし、
センスのかけらも感じない。

小説は題名からすでにはじまっていると思います。


もうひとつは、
覆面作家の舞城王太郎さんです。
なぜ覆面作家でいるのか?
覆面作家でいなければ書くことができないような
作品なのか?
否。


閑話休題。

受賞作の「冥土めぐり」は
芥川賞受賞にふさわしい、丁寧な筆致で
書かれた現代の神話です。
といっても、おおがかりな装置があるわけでも
殺しがあるわけでもありません。

実母と実弟との「あんな生活」がどんなものか
解き明かしながら、脳障害で車いす生活をする夫との
1泊旅行を描いたものです。

これが、切なく
もどかしく、
そして
腹ただしい。

それは「あんな生活」をしいる母と弟にではなく
主人公の奈津子に対してであり
お人よしの夫に対してである。

特に障害を持つ夫に対して愚鈍なのではと思ってしまう
私です。
しかし、
丁寧にかかれた物語を静かに読んでいると、
この具者が神なのではないかと筆者は思わせます。
地味だけど静かなる力量を作者は発します。

旅行の終盤で、海辺で寝る顔をみながら奈津子は
夫、太一に思います。

「この人は特別な人なんだ」と。
せつなくて淋しい物語がここで姿をかえます。

この小説は実は温かい家族小説として読めるのだと。



2012年08月11日_P8110616


選者は今回から石原慎太郎さんの変わりに
奥泉光さんが入りました。
小川 洋子
奥泉 光
川上 弘美
島田 雅彦
高樹 のぶ子
堀江 敏幸
宮本 輝
村上 龍

選評は
村上龍さん以外、おおむね好評でした。

「受賞作の冥土めぐりについては、わたしだけが、
ノーだったが、テイストとモチーフに対する
違和感があっただけである」と
龍さんは言っておらるる。
私には龍さんの言っている意味が不明です。
龍さんは芥川賞の選者としては、肩に力が入り
すぎていていつも不親切な選評です。

高樹のぶ子さんは、

「奇蹟を、不器用なまでに真っ正面から書いている」
と褒めておいでです。

私の読後感は
久し振りに気持よく読み進める小説にであえた。
につきます。


2012年08月11日_P8110617


本編とは関係ない芥川賞自体のことですが、
今回の受賞者の鹿和田さんは、
作家となって10余年。
こういう人を新人というのか
私は疑問に思っています。

直木賞は手錬の小説家におくるもので、
芥川賞は新人におくるもの・・・と
思っていたのですが。

そして

これがどうもかなしいのですが、
再三いっている、選者の小粒化!
奥泉さんのように選者で食べているのではと
首をかしげるような人は入れてほしくなかったです。
これならまだ、石原さんの方が大物としての
価値があるものです。



*前回の芥川賞あれこれ

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前回の答えは 写真:みうらじゅんさんといとうせうこうさん
       お寺:志明院
 
09
 
13日(月曜日)から夏休みです。
週休1日の身にはとても大切な時間です。
いえいえ、週休2日の人でも大切です。
いやいや、週休1日の私の方がすごく貴重です。
そんなそんな・・・
               エンドレス 笑

京都、奈良。
どこへ行こうか
と、
地図を見るのがとても楽しいひとときです。
旅行は計画をたてている時が一番楽しいといいますが、
本当にそうですね・・・。
否!
やはり、
リュック背負ペタシペタシと歩いているのが一番楽しいです。


今回は、
「もくもく号」に乗って
賀茂川をひたすら上流へとさかのぼって行こうと
計画を練っています。
北山杉の合間をぬって目的地に向かう!

もくもく号終点の岩屋橋から30分ほど
山道を行くようです。

蛇が出てこなければよいのですが。
そのことを考えると
腰がひけます。


計画

某山寺(ボウサンジに非ず)
上賀茂神社
大徳寺
宇治上神社
  ↓
東大寺
奈良国立博物館
十輪院
光琳寺
  ↓
格安ピーチに乗って九州へ


いつものことですが、
ばらばらです。



2010年10月31日_PA310015みうらじゅん氏といとうせいこう氏
2010年10月31日東大寺にてposted by(C)poco



このおふたかた、どなたかおわかりになりますか?
それから
某山寺が、どこだかわかりますか?

と、
お寺さん好きには初歩中の初歩の質問です。


                                    答えは次回




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07
 
雨月物語 (ちくま学芸文庫)雨月物語 (ちくま学芸文庫)
(1997/10)
上田 秋成、高田 衛 他

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1週遅れの話になります。

7月29日のNHK大河ドラマ平清盛は
井浦 新演ずるところの崇徳上皇の
讃岐での御霊(注1)ぶりがよかったですね。

実はマムは膝をうち
何度も頷きながら見てしまいました。
庵のなかで血みどろとなり
髪乱れ伸び、爪は野獣のようにとがり、
のたうちまうさま。

崇徳院が御霊(ごりょう)となり荒ぶるさまは
200年前に刊行された
上田秋成作の雨月物語
巻頭を飾る話として有名です。

巻之一  白峰

こそが、
崇徳上皇が
荒ぶれ魔道にはいる様子とてもわかりやすく
伝えたものです。



西行法師は、四国の白峰に崇徳院の御陵があるときき
山に登ります。
いばらやつる草に埋もれた石を三重に積み上げた塚が
崇徳院の墓でした。

西行は紫宸殿のきらびやかななかでの賢明な君主であった
院を思いなげきます。

 
  日はいりしほどに、山深き夜のさまはただならね、
  石のゆか木葉のふすま いと寒く、
  神清骨冷(しんすみほねひえ)て、
  物とはなしに凄まじきここちさせられる。


そこへ、御霊となった院があらわれます。
西行は成仏していない院をなげきいさめます。

が、魔王となった院はききいれません。


  新院からからと笑わせひ、「汝しらず、近ごろの世の乱れは
  朕なすわざなり。生きてありし日より魔道にこころざしをかたふけて、
  平治の乱をおこさしめ、死してなほ朝家(ちょうか)に祟りなす。
  見よ見よ、やがて天が下に大乱をしゃうぜしめん」 


西行はこの言葉に涙します。
しかし、
産まれたときより父鳥羽院より不義の子として
うとまれ、帝につくも、鳥羽院の院政に翻弄され
義母である美福門院の3才の皇子に帝(近衛帝)をゆずり、
この近衛帝なきあとは、
誰もが崇徳院の子である、重仁親王が帝になると
思っていたにもかかわらず、
まったくの論外の雅仁親王(後白河院)が践阼(せんそ 注2)されたのですから
西行の言葉に耳を傾けるわけはありません。

  朕皇子(わがみこ)重仁こそ国しらすべきものをと、
  朕も人も思ひをりしに美福門院が妬みにさへられて、
  四の宮の雅仁(後白河院)に世をうばわれしは
  深き怨みにあらずや。
  重仁国しらすべき才あり。雅仁何らのうつは物ぞ。


崇徳院は我子である重仁皇子がいかに国をおさめる器が
あったかをとき、弟の雅仁親王(後白河院)がその器がない
ことを断じます。

雅仁親王は武士の家でいえば、部屋住みの居候のような
立場、立ち位置の人でした。
即位した年齢が29歳。
29歳までぶらぶら天皇家にいたというのは異例で
当時は出家するのが普通。
皇子は今様好きの遊び人さんです。
その雅仁親王が帝にえらばれたのですが
崇徳院と御子の重仁皇子の嘆きは強いものだったでしょう。

この雅仁皇子が帝になられたのはその乳母の夫である
信西の画策といわれていますから、
崇徳院の魂があらぶるのも当然のことです。

というのは
大河ドラマの場面にありましたが、
讃岐に配流された崇徳院がみずからの過ちを深く省み
五部の大乗経を写経し京の仁和寺におさめようとしたところ
信西(ドラマでは後白河院自体)に拒否されます。

   「少納言信西がはからひとして、もし呪詛の心にやと
  奏しけるより、そがままにかへされしぞうらみなれ」


   「この経を魔道に回向(ささげ)して、恨をはるかさんと
  ひとすじにおもひ定めて、指を破り血をもて願文をうつし、
  経とともに志戸の海に沈めてし後は、人にもまみえず深く
  閉じこもりて、
  ひとへに魔王となるべく大願をちかひしが」


ドラマのなかで、狭い庵の中で
経文と血みどろになって荒れ狂い
獣のように爪がのびていた様は上記のことです。

魔王の形あさましくもおそろしげなる崇徳院は谷峯に
響くすさまじい声で言い放ちます。

   「かの讐敵(あたども)ことごとく此前の海に
  尽くすべし」


↑これは平家一門を海に沈めることを誓ったということです。

西行は涙します。

  魔道のあさましきありさまを見て涙しのぶに堪ず。

世の中は崇徳院に呪われしごとく乱れていき
信西はあっけなく自刃し獄門にその首は吊るされます。
清盛の嫡男は病死し、清盛も没した後、平家一門は西海に沈みます。


雨月物語 巻之一 白峰
雨月物語 巻之一 白峰より


この雨月物語の白峰を読んで気がついたこと。
それは、魔道に身をささげた崇徳院の言葉の
1節です。
   死してなほ朝家(ちょうか)に祟りなす。 

ここに朝家という単語がでてきます。
この雨月物語は200年前の作ですが、
天皇家のことを朝家と言っているわけです。
つまり朝家という言葉があったということです。

今回のドラマで一番クレームがでた「王家」という
言葉。

王家を朝家に変えたらと。

この朝家という言葉がまさにふさわしいのでは
などと、
雨月物語を読んで思ったのでした。

どうでしょうか。

en1  en1
  

注1:御霊(ごりょう)
   やんごとなき貴人や功績のあった人物が恨みを残して
   死んだとき、死後人々にたたるとされた怨霊(おんりょう)。
   民間人の場合は怨霊という。

   この御霊を鎮めるために、御霊神社や御霊塚、御霊会(祭)
   がある。
注2:践阼(せんそ)
   天皇に選ばれること。

<参考>
・雨月物語は1768年に執筆された9編からなる
 怪奇小説です。
 上田秋成のげんさくではなく、日本の古典や中国の物語を
 本歌取りよろしく仕立て直したものです。
 近年でいえば、芥川龍之介のとった小説法。

・まだ赤ちゃんといってもよい頃、
 実は大映映画・雨月物語を見ました。
 物語はまったく覚えていませんが、
 映画館に貼られたポスターがとても
 こわかったのを今もよく
 覚えています。

 もやのかかる闇夜の湖に浮かぶ1艘の小舟。
 白黒のポスターのおどろおどろしかったこと。


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(2011/02/26)
京マチ子、森雅之 他

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↑ただしこの映画は白峰ではなく、
「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編をあわせ脚色したものです。
かなり物語としては異なっています。

   
雨月物語―マンガ日本の古典〈28〉 (中公文庫)雨月物語
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↑私は友人にこの雨月物語の漫画を借りました。
とてもおもしろかったので、本格的に読みたいと思い
ちくま学芸文庫を購入しました。
古典ははいりにくいので、こういう入り方もいいのでは
と思っています。


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03
 
       阿修羅展 チケット
       阿修羅展 チケット


2009年
3月31日-6月7日
東京国立博物館 平成館


きれいなチケットは嬉しいものです。
入場口でさし出す時にいつも
一抹の不安が心によぎります。

「きれいにもぎってくれるかな」と。


    この阿修羅展のチケットは大切に保管していたのは
    いいのですが、
    大切にしすぎてどこにいれたかわからず
    ずっと気にかけていたものです。

    なんの気になしに去年の春先に催された
    金沢文庫80年 特別展「運慶-中世密教と鎌倉幕府-」
    のチラシをいれたファイルをとり出したら
    そこに入っていました。

    運慶展のチラシもきれいだったので
    「大切ファイル」に保管していたので
    一緒にいれたのでしょう。
    が、
    まったくその時のことは覚えていません。


DSC_0602




さて、この阿修羅展は凄い人出で、
平成館の前の広場に何重もの列が出来
入館に1時間ほどかかりました。

けれどもこの阿修羅展終了後の
奈良興福寺仮金堂にての阿修羅展の
行列の凄さ
には東博のそれは赤子のようなものでした。



興福寺 仮金堂拝観行列
興福寺 仮金堂拝観行列posted by(C)poco


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