北迫薫の 日本のこと日本のもの
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三十三間堂
< 蓮華王院 三十三間堂 >
宗派 天台宗
創建年 長寛2年(1165年)
開基 後白河上皇
本尊 千手菩薩
正式名称 蓮華王院本堂
国宝 本堂
拝観料 600円
本坊 妙法院門跡
*本来は後白河上皇の院としての法住寺殿内の一部(注1)
*平清盛の資財協力によって創建
住所 京都市東山区三十三間堂廻町
電話 075-561-0467
交通 JR京都駅より市営バス206系統
博物館三十三間堂前下車すぐ
オフィシャルサイト
三十三間堂 東面中央
三十三間堂を訪れたのは何回になるのか、
あまりによく拝観するのでわかりません。
京都駅に近い上に
京都国立博物館にも近いため
ちょくちょくという言葉があてはまるでしょう。
今回は友人が一度も訪れたことがないと
知り、大急ぎでお詣りしました。
なんだかいつも大急ぎです。
三十三間堂 東面右手
三十三間堂 東面左手
南北に120メートルもあるお堂には柱間が33あります。
三十三という数は観音菩薩様があまねく衆生を救うために
三十三化されるところからきています。
国宝 本尊千手観音像 湛慶作
3メートル以上おありの国宝木造千手観音坐像は
堂々としておいでで、
北側(入り口)より延々とつづく
観音像を抜けて中央にたどり着きお顔を
拝顔するとほっと安堵します。
ご本尊に左右500躯の千手観音が並ぶ様は
壮観壮麗であり神々しいとさえいえます。
深淵をのぞくような気持ちさえします。
1000躯の観音さまのうち
創建当初の平安期の像は124躯もあり
鎌倉期に復興されたお像の二百数十躯に作者銘があり、
湛慶をはじめ慶派、院派、円派など、
当時の主要な仏師たちが総出で造像にあたった
ことがわかります。
1000体の観音立像の前には
風神雷神像をはじめ
二十八部衆がおいでです。
創建時は
極彩色に彩られていたそうです。
今様を好まれてお派手だったという
後白河上皇ならではのお堂でしょう。
東面 中央広縁
この中央広縁の正面が
東大門になります。
西側にまわってみましょう。
2010年4月撮影 三十三間堂西面
この西面は通し矢で有名ですが
私的には中村錦之助(萬屋)の
宮本武蔵が吉岡道場を相手に
果たし合いをした場所として頭に刻まれています。
題して「宮本武蔵 一乗寺の決斗 」です。
吉岡道場の嫡男の腕を叩き斬った武蔵に
次男坊伝七郎が果し合いを挑むのが、
この蓮華王院三十三間堂なんです。
この三十三間堂の裏手、西面廊下より飛び降り
中村錦之介武蔵は平幹次郎伝七郎をあっというまに
斬ってしまうんです。
嫡子は深手、次男を殺され、吉岡道場一門勢揃いの
「一条寺下り松の決斗」へとなっていくわけね。
この決斗シーンはいいですよ~。
田んぼの中を剣豪、錦之介武蔵が泥だらけに
なって走り逃げながら刀をふりまわすの。
カッコいいもヘチマもない。いい演出です。
昭和39年東映映画 内田吐夢監督
の宮本武蔵は豪華絢爛たる出演者です。
武蔵 中村錦之介
小次郎 高倉健
伝七郎 平幹二郎
お通 入江若葉
最奥 南大門 右手 三十三間堂
公道に南大門があるというのは
珍しいのではないでしょうか。
当然、生活道路として人や車が
行き交っています。
このあたり一帯は
後白河上皇の院であった法住寺の境内
ですから、この南大門は古来より
法住寺の大門でした。
外国の方には伏見稲荷が定番ですが
この三十三間堂も喜ばれるのではと思って
います。
参考
*法住寺オフィシャルサイト
8月27日
石山寺 1/2/3→京都武徳殿入江道場
8月28日
三十三間堂→京博→養源院→京都武徳殿入江道場→京都ロームシアター
<周辺情報>
養源院 俵屋宗達の杉戸絵や血天井で有名
京都国立博物館
平成知新館
本館(旧館)
*現在の展示(2016年9月5日時点)丹後の仏教美術 9月11日迄
豊国神社
方広寺 大坂冬の陣のきっかけとなった釣鐘が現存
妙法院門跡 三十三間堂本坊
新日枝神社(いまひえじんぐう)
京都国立博物館エリアは京都駅から近い上に
上記の神社仏閣が隣接しています。
午前中は泉涌寺や東福寺、伏見稲荷を拝観し
午後はこの地区をまわるコースはいかがでしょうか。
どれも京都駅に近く東福寺エリアから京博は
タクシーで15分弱です。
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