白マム印 日本のこと日本のもの

 
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東大学在学中、三島由紀夫は川端康成に
処女小説集、「花ざかりの森」を送ります。


私たちの想像する川端は人間嫌いで
若い人に目をかけるような人物とは
思えません。
が、
実は彼は昭和10年頃までは批評文をよく書き、
添削などもひきうけ新進の小説家に
とても注意をはらっていたといいます。
その注意は嫉妬などではなく
育てるという意味でです。

あの風貌からは意外です。

それが途絶えたのは期待し得る新人が出て
こなかったということ。

目利きの川端からすれば淋しいものだったに
違いありません。

そこへ出てきたのが三島由紀夫です。

川端は「花ざかりの森」の拝受の返礼を
即座に出します。

それは昭和20年3月8日。
東京大空襲の2日前です。

返礼には疎開の荷造り中の物を見に行ったとあり、
「宗達、光琳、乾山をみて、近頃の空模様すっかり
忘れました」となんとはなしにおっとりと
したためられています。

それに対して10日の大空襲をはさんでの三島の
返信(16日付け)は「都もやがて修羅のちまた」と。

戦局のなまなましさを感じとることができる
書簡のはじまりです。


三島は文壇に対してとても野心があり、
デビューを切望して動いていました。
川端に処女作を送る前には佐藤春夫の門を
叩いたりもしています。
が、
川端についたのは賢明、あるいは利に聡かった
といえます。
川端は、この新人の面倒をとてもよく
みます。

三島も川端もお互いに筆まめだったのでしょう。
文通のようにやりとりがはじまります。






三島はあふれるような文学の思いや自分の考えを
丁寧な言葉ですが、伸び伸びと素直に語ります。

↓昭和21年4月15日付の三島の手紙です。

「雪国」については(この作品は何度拝読しましたことか!)
あまりに大きく高く、小さな私には牧童がいつかあの山へも
登れるかと夢想する彼方の青いアルプスの高峯のやうに仰がれる
のみでございます。」


三島の手紙の末尾は常に

何卒御身大切に遊ばしますやう。

で、おわります。


川端が可愛がらないはずはありません。
 
   
            
その1/2/3/4/5/6/7




  




川端康成記念会
三島由紀夫文学館
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