白マム印 日本のこと日本のもの

 
03
 
その1/2/3/4/5/6/7

弘法大師堂石仏DSC_1036
円照寺弘法大師堂石仏 posted by (C)poco



↑奈良円照寺は三島が豊饒の海4部作のために
取材におとずれた尼寺です。

このことは、往復書簡の中で「取材のため、関西と九州に
まいります」としたためられています。

この豊穣の海4部作にて三島由紀夫はノーベル賞受賞を
確固たるものにしようと思っていたのではないでしょうか。


昭和43年川端康成ノーベル賞受賞で二人の間には
温かい交流がなくなったといわれています。
確かに手紙のやるとりはなくなります。

しかし気持がさめたのではないことが1年後の手紙に読みとれます。
三島は川端との関係を今まで通り続けたら「遂行あるいは決起」できなく
なってしまうと思ったのでしょう。
が、
1年後の44年8月に手紙をだし、
「なんとしても護らなければならない」ことを川端にたくします。

その一節を引用しましょう。

昭和44年8月4日付
下田ホテル内三島由紀夫より鎌倉市長谷264あて

・・・・・・
 ますますバカなことを言ふとお笑ひでせうが、小生が怖れるのは死ではなくて、
死後の家族の名誉です。小生にもしものことがあったら、早速そのことで世間は
牙を剥きだし、小生のアラをひろひ出し、不名誉でメチャクチャにしてしまふやうに
思はれるのです。生きている自分が笑はれるのは平気ですが、死後、子供たちが
笑はれるのは耐へられません。それを護って下さるのは川端さんだけだと、
今からひたすら便り(ママ)にさせていただいてをります。




昭和45年7月6日付三島由紀夫から川端康成に宛てた最後の手紙

・・・・・・
 空手を三年目にやっと黒帯をもらひ、武芸合計九段になりましたが、
さて強くなってみると襲って来る者もなく、物足りない気分で過ごして
をります。
 時間の一滴々々が葡萄酒のやうに尊く感じられ、空間的事物は、
ほとんど何の興味もなくなりました。この夏は又、一家揃って下田に
まいります。美しい夏であればよいがと思ひます。
 何卒御身御大切に遊ばしますやう。           匆々
     七月六日              三島由紀夫
  川端康成様



同年 11月25日  
   陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地東部方面総監室にて自決

翌年 1月26日
   築地本願寺にて葬儀

   葬儀委員長 川端康成

昭和47年4月16日
   逗子マリーナの仕事場にて川端康成ガス自殺

   密葬






注・川端香男里(養女政子の夫)氏によれば最後の手紙はほかにあった由。これは残しては
  ならないという思いで川端家によって燃されたそうです。
                              川端康成三島由紀夫往復書簡 完

                                                   
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奈良 円照寺
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